〔2000年頃の総合小売業態〕 

 当時(2000年頃)、私が勤めていた会社は中堅小売企業と言われており、その企業で勤続20年が過ぎようとしていた。入社以来現場が長かったが1995年に本社に呼ばれ、商品部で日配・惣菜部門を担当することとなる。2000年当時総合小売業態は二極化による淘汰が進み、それは最終段階へ入ろうとしていた。勝ち組はニューファミリーに強い支持基盤を持つイトーヨーカドーが先頭を走り、続いてCI変更を行い、欧米スタイルのモール型ショッピングセンターを拡大するイオン、そして負け組はアッパーグレードの百貨店まで幅広く業容を広げるマイカル(後に法的整理後イオンが吸収)、西友も創業一族の問題、不正会計やらで帝国に暗い影、そして何よりも業界大巨人ダイエーは重すぎる有利子負債に息も絶え絶え、といった状況であった。そして追い打ちをかけるかのようにこの頃にカテゴリーキラーが台頭し始め、弱体化した総合小売業に止めを刺し始めたのである。急成長した総合小売り企業だが財務面では1991年よりのバブル崩壊による資産内容悪化が致命的、営業商品面での顧客評価は「売場は広くて買いずらい、商品は沢山あるが欲しいものは何も無い、レジでは待たされる」等々の悪評を改善できず結果PL,CFは棄損し続けた。付け加えれば会社を支えてきた団塊世代の大量採用社員はそろそろ定年の準備を・・・。当然人的パワーは明らかに低下した状況であった。この時期、市場に求められていない総合小売企業が退場を命じられる全ての条件が揃ってしまったのであった。

〔その日は突然訪れた〕

 ある冬の週、上司から日曜日に出勤命令が出た。しばらく休みがとれておらず、勝手なことを言うと腹を立て、出勤指示理由を聞いたが「何も聞かずに従って欲しい」と、全く訳の分からぬことの繰り返しであった。おかしなことは数日前から起きていた。依頼もしていないのに北海道出張のチケットが届く、大手メーカー役員からは「貴社は最近変わった動きは無いのか?」の問合せが数件があった。出勤指示当日、半分ふてくされながら地下鉄の駅から地上に出るといつもと違う騒音が聞こえ、ふと見上げると数機のヘリコプターが旋回している。やがて本社の従業員通用口に近ずくと腕章を付けた10人以上のスーツ姿の男性やTVカメラクルーもいるではないか。その中を私は声を掛けられることも無く、本社ビルに入ったがここまで来るともやもやとした心配は確信に変わった。その確信とは「会社は終わったな・・・」である。オフィスに入り重い時間が流れた後、管理職は大会議室に集められ、役員より「会社更生法届け出」に至った経緯説明、及び財産管理人の弁護士より外部に対しての対応(Q&A)がレクチャーされたが、聞けば聞くど「これはとんでもないことになったな!」と言葉では表せない気持ちとなったことを覚えている。その夜、申請していない北海道出張のチケットの理由が分かった。翌日 札幌で開催される「お詫び」の第一回債権者会議に出席する為であった。まさにテレビドラマや映画でみられるシーンであり2千人を超える債権者様に債務者の代理として壇上でお詫びした。これは「夢」では無い。現実に起きていることなのだと何度も自分自身に確認したことを覚えている。

〔会社更生法について〕

 同法を「借金踏み倒しの悪法」と聞き及んだことがある。事実、その通りだと思う。会社更生法とは「債務軽減により更生する可能性が高くその存続に社会的な意義がある」と法的に認知される会社が適用される法律である。しかし同法申立てを地裁が受理して頂いたとしても、運転資金は全て自前で確保せねばたちまち立ち行かなくなる。その運転資金確保行為の一部について、以下はあくまでも個人的考察ではあるが記載する。会社は経営を継続させる為に計画的に大変なことを準備した。会社はその運転資金を一定量獲得する為に、ありとあらゆることを実行したように思える。運転資金を確保した後、最適な会社更生法届け出日、つまり✕デーを決めたのである。その✕デーの要件を満たす計画とは①最も多額な買掛支払い等が行われる直前であり②連休となり最も売上高(キャッシュ)が獲得できる週、③尚且つ、✕デー至るまでの常軌を逸した「廉価販売」である。このようにして運転資金の一部は確保されたと思料している。お取引様からみればいかなる事情があろうとも許しがたい行為であることは間違いない。ご存じの通り会社更生法における一般債権の弁済率は限りなく低く、多数のお取引先様に多大なご迷惑をおかけすることとなった。直接は存じ上げないが、この事件が原因となり後に破綻してしまった企業様もあると聞き及んでいる。ご迷惑をお掛けしたお取引先様には今後のお取引でお返しして行くしか無いと決意したのだが、対人面ではそうはゆかなった。弊社をご担当して下さった方々は自社からは「事前に情報を入手できなかった無能な担当者」として大なり小なり責任を取らされるケースが続出した。その方々にとって社内で積み上げてきた実績や信用が弊社の事件で崩壊することになったことは、心底申し訳ないと思うばかりであった。その方々の将来の生活設計に大きな狂いを生じさせてしまったことは今でもお詫びの言葉が見つからないままである。                

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「コンサルタントと名乗りはや10年 〔法的整理編〕」への4件のフィードバック

  1. 20年以上前の出来事があまりにも生々しくドンと目の前に出されたような、当事者だけが書ける息詰まるような展開でした。
    続きが待ち遠しいです。

  2. 忘れかけていたあの時の場面が、ドン!と目の前に現れたようです。続編、是非拝読いたしたいです。

  3. コメントありがとうございます。はじめからこのようなことを書いて良いのかを迷いましたが、企業再生にご関心を持たれる各位のお役に立てればと思い投稿致しました。次回もご拝読頂けましたなら幸甚でございます。

  4. やはりあの日を思い出してしまいます。
    産業化へのヒントが隠れていそうですね。
    次回以降の展開が楽しみです。

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