▼ リアクション芸で有名な芸人さんが亡くなった。多くの人に慕われていた方なのか、荼毘にふされても追悼の番組やコメントがつきない。そんな中、お世話になったという後輩芸人が亡くなった芸人さんが好きだったという中島みゆきさんの「ホームにて」についてのエピソードを語って偲んでいた。

▼ でも、でもどうしても違和感が拭えない。中島みゆきの名曲中の名曲と呼ばれるこの曲だが、決して「故郷に帰る曲」ではない。「帰れなかった曲」なのだ。そのことを多くの人が理解していないことに道産子の自分は歯がゆさ、モヤモヤを消せない。

▼ 歌詞の内容はこうだ。ふるさとに帰ろうとする主人公は空色の電車に乗ってふるさとへ帰ろうとして、駅で優しい駅員の呼び掛けを聞く。多分、「お乗りの方は急いで下さい」というアナウンスなのだろう。しかし、主人公はホームに立ち続けて乗り込む前に、きっと思い出深い街に別れを告げられずにいられない。そうこうしているうちにドアはしまる。電車の中ではふるさとに帰る喜びで笑顔に溢れる乗客がいるというのに。土産物や都会で買った気取ったものが詰まったカバンを捨ててしまって走り出せばしまりかけたドアにぎりぎり乗り込めるだろうに….結局乗れぬままドアは閉まる。

▼ ホームに立ち尽くす彼女に手にあるのは使えなかった乗車券。それから時が経ったのだろうか。彼女はその日を思い出しながら都会に住み続けている。ネオンライトでは燃やすこともできない乗車券を握りしめて。そんな歌だ。

▼ 似た表現が彼女の歌には多い。有名な「ファイト!」には好きな男を追って大阪を出て東京に行こうとする主人公が、ふるさとのしがらみで行くことができず、使わなかった乗車券を男に送るシーンが描かれる。ネオンサインという言葉も「パラダイス・カフェ」など多くに出てくる。それらはいずれも昭和の香りのする、なんとも切ない言葉達だ。

▼ 中島みゆきは帰るところがない人だ。北海道帝国大学医学部出身の父を持ち、勤務医として道内を回った後、帯広で彼女は進学校に入り、そして父は札幌で個人病院を開業することになる。彼女は札幌でも有名なお嬢さん学校に入り、北海道大学のフォーク研究会に入り遺憾なく才能を発するが、突然、父が倒れ、そして亡くなる。趣味で歌を歌うのでは無く、生活の糧として歌わねばならない彼女の苦悩と元々ある高い感性、そしてふるさと北海道に対する複雑な思いが中島みゆきを形成したと私は感じる。

▼ 同じことは五木寛之にも言える。九州の国学の先生であった地元の名士を父に持ち、朝鮮、満州へと教育を広げるために新天地に旅立った家族を襲ったのは「敗戦」という屈辱的な結果だった。逃げ惑う中、母を不幸な事件で亡くし(これは彼の著書に詳しいがここでは書かない。ただ五木の中に黒い芯を作ったであろうことは想像に難くない)。ほうほうのていで逃げ帰った彼ら親子にふるさとは冷たかった。そんなふるさとから逃げたくて彼は早稲田大学の門を叩く。かれにとってふるさとは九州であるはずなのだが、時々語りはしても、出てくる住んだところの話は横浜だったり、金沢だったりする。金沢は特に思い入れ深い。

▼ そんな彼の第一エッセイ集「風に吹かれて」の最終章「果てしなきさすらい」にこんな言葉が出てくる。「私はやはり基地を失ったジェット機でありたいと思う。港を持たぬヨット、故郷を失った根なし草でありたいと感じる」。ここに中島みゆきとの類似性を見る。そして自分の類似性をもだ。

▼ 北海道はふるさとであり懐かしいが、しかし帰れるふるさとではない。そんな思いを抱いて毎日を過ごしている。北海道への複雑な思いは今も消すことができない。

「「ホームにて」と「果てしなきさすらい」」への2件のフィードバック

  1. ふるさとの話があったので私も一つ。
    私の故郷はご存知の通り大阪なのですが故郷にいる親戚には私の評判は悪いようです。曰く親を捨てた。曰く大阪を捨てた。曰く自分はのほほんと東京で良い暮らしをしている。
    そんな事を言う人がいらっしゃるようです。
    実は私が最初に働いていた会社も同じくで、今私がその会社の競合に属するグループにいるせいか上記と同様の思いを持つ人もいるらしいです。

    故郷を出た人間が、長く務めた会社を出た人間が、より良く暮らそうと努力するのは当然の権利で今までの事情や努力を知ってるのか?そもそも今の給与明細を見せて「良い暮らし」とは少々程遠い事を教えてやりたいくらいなのですが。
    もちろんそんな人は少数派であろうことは自分もよくわかっているのですがそんな話を聞くたびに心の中に「故郷のトゲ」を感じてしまいます。

    故郷と言うものは(あの会社も自分にとっては故郷です)出ていった人間をニュートラルには見てくれない存在なのかもしれません。

  2.  竹垣さんのコメント拝読していて、また中島みゆきさんの歌を思い出しました。「あぶな坂」、彼女のファーストアルバムの一曲目です。
     竹垣さんは、「ころげ落ち」たのとは全く逆ですが、しかし、ころげ落ちようと成功しようと「ふるさと」はその時点で違う顔で自分を見るように思います。

    あぶな坂を越えたところに
    あたしは住んでいる
    坂を越えてくる人たちは
    みんな怪我をしてくる
     
    橋を壊した お前のせいと
    口を揃えてなじるけど
     
    遠い故郷で傷ついた言い訳に
    坂を落ちてくるのがここからは見える
     
    今日もだれか憐れな男が
    坂をころげ落ちる
    あたしはすぐ迎えに出かける
    花束を抱いて
     
    お前がこんな やさしくすると
    いつまでたっても帰れない
     
    通りふるさとは落ちぶれた男の名を
    呼んでなどいないのがここからは見える
     
    今日も坂はだれかの痛みで
    紅く染まっている
    赤い花に惹かれて誰かが
    今日もころげ落ちる
     
    おまえの服があんまり紅い
    この目をくらませる
     
    遠い彼方から あたしの黒い喪服を
    目印にしてたのがここからは見える

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