2024年5月18日 10:35

熊本からフェリーで島原へ

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昨夜は菅乃屋にて馬刺し定食で1杯


旅の2日目
やっぱり馬刺しは美味かったなあ〜。と馬ならぬ牛ならば反芻したいところですが、旅はまだまだこれから。熊本からフェリーで島原に渡りました。
※第1日目は以下参照

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ちなみに今回の旅程はこんな感じ
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フェリーはこんな感じ。熊本港と島原港を30分で結びます。

島原港でレンタカーを借り天草の乱で有名な原城跡へ。
この原城跡は世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン」の重要構成資産です。
城趾の本丸前に世界遺産には若干不釣り合いなプレハブの工事現場事務所のような建物がありました。覗いてみると世界遺産の案内所で一人ガイドがいらっしゃいます。しかしその工事現場、、失礼、案内所のガイドの方とはすっかり意気投合し様々なお話を聞くことが出来、以下の解説はガイドからお聞きしたお話の約100
分の1ほどの要約です。

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ガイドの林さん、このヒトがまたストロングな語り部で。

原城は戦国時代の末期にキリシタン大名である有馬晴信によって築城されたものです。
有馬晴信はキリスト教を信仰するとともにその見返りとして南蛮貿易で大きな富を得ます。当時のキリスト教は巨大な御利益と隣り合わせだったのです。
そして彼は「日本におけるカソリックの第一人者」となるべく領民たちの改宗をすすめ、後に天正遣欧使節と呼ばれる少年達をローマ法王に会わせたりしました。
しかし世は移り江戸時代になってキリスト教は禁教とされてしまいました。自らもキリスト教徒であった有馬晴信の息子は島原藩主となったもののキリスト教徒を弾圧することに嫌気が差し、延岡の方へお国替えをさせてもらいます。
そして代わりにきた藩主松倉勝家は幕府の意を汲んで激しく教徒弾圧を進めるとともに新しい城(島原城)を造るための過酷な年貢を取り立てました。
たまらないのは領民達です。
半ば強引にキリスト教徒にさせられせっかく馴染んだところを弾圧ですから。天草一帯の領民達(領民の過半はキリスト教徒だったようです)は天草四郎を盟主にして大規模な一揆を起こしました。

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一揆軍の旗印。ラテン語で神の恩寵はあなたにあるよ的な文句が書かれてます。

一揆軍の中には非キリスト教徒や浪人たちも混じっていたようで藩や幕府軍を何度も退けた後、この原城に籠もりますが結局は兵糧攻めにあい、降伏したところを皆殺しにされたようです。

一説には島原藩主の松倉勝家は当時スペインが支配していたルソン島攻略を幕府の許可を得て進めていました。過酷な年貢の取り立てはその戦費調達の為ではないかと考えられています。もし島原の乱に宣教師を通じてスペインの影響があったとしたら、また乱の鎮圧にオランダが積極的に協力したことなどこれは国際的紛争の匂いがしてきます。
知らんけど。

と、そんなな話をガイドの方から伺いお城を回りました。当初予定では城趾をぐるっと回って30分くらいと思っていたのですが、ガイドさんのお話を聞くのにたっぷり時間がかかってしまったことと、城趾が意外と広くて一廻りするのにえらく時間がかかってしまい結局午前中いっぱいを使ってしまいました。
しかしこれも一人旅の醍醐味。
ガイドさんのお話も楽しかったし、城趾からみる有明海は絶景でしたし、時間節約のため地元スーパーで食べた島原素麺のお弁当も美味しく頂きました。

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高台の本丸にある島原の乱の記念碑。
ここからの眺めは絶景です。
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天草四郎の像
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島原の乱の犠牲者を弔うホネカミ地蔵
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世界遺産のモニュメント
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本丸を中心に石垣の跡がありますが基本的には中世の城郭の縄張りです。

次の目的地島原城へ急がんと。 助手席に置いた素麺のつゆがこぼれないように気にしながらレンタカーを走らせます。
ナビに島原城駐車場とセットして案内通りに車を走らせると、どんどん御城の中に入っていきます。ちょっとこんなに深入りして大丈夫かなと思っていると、駐車場は天守閣の横にありました。

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島原城天守閣。城に付き物の破風(天井につける三角の飾り)が無いのが特色。

便利は便利なのですが、ちょっとどうかなと言う感じです。気を取り直して天守閣に入ると島原城盛り上げ隊のお出迎えを受けました。

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城内には日本有数と言えるほど潜伏キリシタンの遺物が展示されています。

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マリア様を変形させて信仰を続けたもの、
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教科書で見たやつです。

島原の乱以降、生き残ったキリスト教徒は抵抗を諦め五島半島などに散らばって潜伏し信仰を守ります。
そして250年後、鎖国が終わり建設された大浦天主堂に15名の潜伏キリシタンが現れ「ここにおります私たちは、皆あなたさまと同じ心でございます。」と神父に告げます。世界中を驚かした「信徒発見」です。

世界遺産として認定されるためにはまず現存する不動産が必要です。これは世界遺産のコンセプトが保護であるからです。だからあの原城跡は大事なものになります。
そしてもう一つの重要な要素は「隔絶した普遍的価値(Outstanding Value)」にあります。
これは世界において共有出来る普遍的かつ隔絶した価値と言うことです。
「発見された」信徒達が神父を驚かしたのは彼らが250年に渡ってカソリックの教義を忠実に守って来たことです。「おらしょ」と呼ばれる教義を暗記し洗礼やクリスマスの祭礼等を延々と続けてきたことです。
こうした事を可能にしたのはこの信徒達が孤立した集団ではなくカソリックのミッションや規則、規範を共有する組織であったことによるものだと考えます。
組織とは上記のものが強固であれば100年でも200年でも続く事を証明したわけです。

世界遺産を認定する組織であるイコノスは潜伏キリシタンの価値を認定すると共にそれを可能とした世界最古の組織であるカソリック教会を普遍的価値として再確認したのだと思います。

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最後は長崎の居酒屋「ほおずき」で食べたきびなごの写真です。
これも価値アリです。

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