▼ 自然保護団体高なんだかが海で捕まえた亀の鼻の穴にストローが突き刺さっているのを抜き、亀が涙を流している(注:本当は亀は涙なんか流しません)映像以降、プラスチック悪玉論が世界的世論になったのには驚愕し、呆れた。またもや世界がひっかかっている、映像による印象操作だ。湾岸戦争の時の油まみれの海鳥やら、ベトナム戦争で置き去りにされた赤ん坊の写真や、色々なところで騙された手法でまだ騙されている世界はおめでたいとしか言いようがない。

▼ 話題になっているのは、①プラスティックを海洋投棄してそれが細かく砕け散って漂う海洋マイクロプラスティックの問題、②ビニール袋などを魚が飲み込んでしまって死んでしまう問題、そして③プラスチックのリサイクルは完全ではないから紙などの自然素材に戻せという議論だ。

▼ 結論。すべての問題はプラスチックを焼却すればよいだけの話だ。つまりまともな焼却炉を世界中で低価格で設置し、メンテナンスできるようにすればリサイクルも不要だし、海洋投棄もしないで持ち帰ればいいだけだ。そもそもゴミを捨てるのはなんであれ犯罪なのだから取り締まればいい。

▼ プラスチックをリサイクルするなんていうのは、実は夢の夢である。わかりやすいペットボトルと食品トレーを例にしよう。ペットボトルの材料はポリエステル樹脂だ。確かに綺麗に再生できればポリエステル繊維に戻してフリースなどの衣料に再生できる。食品トレーも綺麗であればもとのポリスチレン樹脂の原料のスチレンレジンに戻せる。ただ、あくまでも「綺麗」であれば、だ。汚れたままのこれら樹脂は再生は不可能だ。またペットボトルはキャップとキャップをボトルにつなぐ部分のプラスティックの物性が違うので外さなければならない。海外のミネラルウォーターにありがちなベットリと糊でフィルムラベルを貼ったり、紙ラベルを貼り付けているペットボトルは再生不可能だ。それが最近まで中国やフィリピンに輸出されていたペットボトルを圧縮した大きな塊だ。

▼ 食品トレーはもっと難しい。なぜ?、白いトレーなんかは圧倒的に今は数がすくない。肉の色をよく見せるための薄茶色のフィルムを貼ったトレーや弁当やオードブルに使う濃い色のフィルムで装飾したトレーは一切元の白いトレーには戻らない。できるのは溶解してせいぜいがプラスティック製の植木鉢にするくらいだろう。しかも、食品トレーを綺麗にするには洗わなければならない。この水質汚濁の環境負荷が半端ない。

▼ じゃあ、どうするか。燃やすのだ。生ゴミを燃やす際には大量の燃料を投入していることを知っているだろうか。そりゃそうだ、生ゴミなのだから水分を含んでいるから油をかけないと燃えない。油の代わりにペットボトルの塊を投入すればいいだけだ。コストはゼロ。再生も不要。食品とれーだって、洗うことによる水質汚濁の環境負荷をかけるならば、細かく割って生ゴミに混ぜてしまえばいい。そのほうが遥かに得だ。

▼ ここで古い神話が頭をもたげる。一つはプラスティックを燃やすと焼却炉を傷めるのでコストが掛かるという神話。2つ目はダイオキシンを出すという神話。しかし、すべてウソである。いや、それは言葉がきついか。既に問題はクリアされている。わかりやすい資料が工学院大学の資料(工学院大学「プラスティック木荻もの処理方法を考える研究会」http://www.ns.kogakuin.ac.jp/~wwb1046/TRsetsumei.pdf)であるから、ぜひ読んでほしい。日本のまともなメーカーの焼却炉を使えば炉も傷まず、ダイオキシンもでず、ゴミは綺麗に焼くことができ、汚染物質もでない。CO2?、そんなものは紙にかえたって出るんだから同じだ。むしろ紙のほうが焼却コストが高いし、なにより木を材料にしているのだから、森林問題を引き起こす。

▼ それにしても、だ。プラスティックは燃やしてしまうほうがよほど環境負荷が低いことなんかプラスティック樹脂業界の人間にとっては常識だ。環境科学の人間にも常識だ。にも関わらず、論文も読まず、識者の話も聞かず、学会も取材せず、脊椎反応と古い常識だけで動くメディアはなんなのだろう。その割に量子コンピューターが今すぐにできるような記事も書くし。勉強不足も甚だしいと思う一方で、それを読む人間のレベルなのだろうなとも寂しく思う。