▼ 今日から中間決算発表が本格化した。決算説明会は勉強になるが、困るのが質疑応答で質問で無く自説を演説するヒト。シーズン第一弾のニトリの説明会でいきなりそうした質疑に出くわした。しかし、これは珍しく示唆に富む自説だった。

▼ 曰く、「アパレルがファストファッションに置き換わったように、家具インテリアは耐久消費財からただの消費財に置き換わったのではないか」、と。後頭部を殴られたようなショック。

▼ 春に引っ越したのだが、我ながらうんざりしたのが物の多さ。思い切って本もCDも客用寝具も本棚も売ったのだが、それでも引越しダンボールは今だに家を占拠している。住まいのために荷物があるのか、荷物のために家があるのか分からない状態だ。

▼ そういえばIKEAが進出したときに、「布団はシーズン毎に買って捨てるのが賢い」と仰った方がいた。当時は、何ともったいないことをと思ったが、ニトリの値段を見ると自分もそうしたくなる衝動にかられる。体から出る湿気で暖かくなる機能性毛布は2千円、掛け布団は8千円だ。引越し代をかけるくらいなら、引越しの度に捨てるが気分も変わってよかろう。ダニがわく暇もないはずだ。

▼ 話は変わってクルマ。決算期の9月末ということで、車のディーラーからダイレクトメールが来る。やっとレンタカーとカーシェア生活でクルマ無し生活に慣れてきたところに、わざわざ心を揺さぶりに来る。さすがビジネス、うまい。

▼ しかし、何をどう計算しても、車両価格と維持費を計算すると、公共交通機関の発達した都会で自動車を保有する経済合理性は無い。妻を説得するはずが、逆に反論され、言い返せない。悔しい。クルマが必需品だったふるさとの北海道に引っ越そうかなんて思う、馬鹿な話だけど。

▼ 家具にクルマの話。モノは違えど、消費の価値観の転換を感じる。耐久消費財が単なる消費財に変わり(=家具)、保有価値を使用価値で置き換えられるようになったとき(=クルマ)、もはや高額なものを買う必要性は消滅する。こんな時代で、どう消費をしてもらうのか?、どうやって買ってもらうのか?。自分が経営者なら、足元が崩れ落ちていきそうだろう。やっぱり、経営者ってすごい。

▼ こうなると底堅いのはやはり毎日食べて飲まなければならない食品と医療品だ。おまけに食べ物には地域性というものがあり、生まれ育ったときに食べたものにヒトは回帰するらしい。最近、僕はジンギスカンが食べたくてならぬ。関西育ちの妻は、いまだに汁が黒いうどんは許せないそうだ。食うものは強い。

▼ さて、部屋でこれを書いていると、視界を占める段ボールが忌々しくてならぬ。中身はビデオと写真。家族の思い出はとっておきたいが、それ以外のNHKスペシャルやら深夜テレビの録画やら。でも、取っておく必要があるんだろうか。

▼ 衛星放送とネット動画サービスに入れば、大抵のものは年に一度くらいは放映される。おおよそ20年間見てないNHKスペシャルを見ても平均寿命から考えて、一回、せいぜい二回だろう。不稼働資産の不良在庫に倉庫代を払っているようなもんだ。人様の会社の決算を四の五の言えない。

▼ 考えてみれば、財務技術の多くは固定資産をどう流動化するかだった。中にはサブプライムローンのように怪しげなものもあったけど、多くは「バランスシートの軽量化」という点で寄与をした。そして、今、個人のバランスシートにも及び始めたのだろうか。いやはや強烈な時代になったもんだ。