《 産業の俯瞰の重要性 》
 今や証券アナリストというと、「買い」だの「売り」だのと個別企業の株式のレーティングを付与するのが業務のようになっていますが、わたくしが新入社員でこの職に就いたときはアナリストという言葉自体もまだ殆ど認知されておらず、肩書きも「研究員」でした。告白すれば、自分はアナリストではなく、研究員であることがまだまだひよっこだった自分のささやかな自負心を支えていたというのが事実です。

 私が入社した会社が特にそうだったのかもしれませんが、個別企業の調査分析に入る前に、徹底的に産業というものそのものについて勉強させられました。引っ越しの間に行方不明になってしまいましたが、配属されて部署の新人全員で一ヶ月かかってやったのが昭和に入ってからの日本経済・日本産業全ての年別まとめ。恐ろしいことに野村総研には野村証券調査部時代からの膨大な資料が残っておりまして、そのかび臭い資料を全部引っ張り出して昭和元年から私の入社する前の年の昭和62年までの経済指標、株債券関連データ、主要生産物価格と生産量、発生した出来事、政治の動きなどをまとめさせられました。

 やっている途中は新入社員ですし、私はとびきり頭が悪い部類だったので、これが一体将来何の役に立つのかわかりませんでした。しかし、アナリスト生活22年を満了するこの三月になって気づくのは、産業をどう俯瞰するかということで、かなり産業や企業の将来動向を予測するのに役立つのだなあということです。

《 既成産業は実は超過収益の温床 》
 最近感じるのは「産業規制」です。ご存じの通り、近代日本は富国強兵から始まったわけで、産業には必ず国家戦略と規制が絡みます。特に戦後の傾斜配分生産などはその典型でしょう。多くの産業は戦後復興と共に規制が緩和されていきましたが、高度成長の終了やオイルショック、円高などの突発的な出来事を受けて、開店休業だった規制が突如として蘇ることがあります。いわゆる「規制業種」です。

 広義の流通業は完全に規制産業でした。軍事統制の一環であった「第一次百貨店法」は別にしても、戦後の「第二次百貨店法」「大規模店舗法」は明らかに中小中堅個人商店の保護のための規制でしたし、その間隙を縫って売り場面積100平米のコンビニエンスストアや150坪のロードサイド専門店が大きなブームとなったことは、その証拠でしょう。

 規制産業は一見すると不自由なように見えますが、実は事業そのものは非常に旨みがあります。何せ規制があるということは参入障壁が高いということですから、容易に競合相手が競争を仕掛けて来れません。大店舗法の下での出店は「大店審」と「商協調」のダブルチェックを受け、三年、四年当たり前、場合によっては十年、十五年かけて出店に取り組まねばならないケースもありました。だからこそ、多くの大規模小売業が多角化に成功しました。

《 規制緩和は参入の好機? 》
 一方で規制産業で規制緩和が起こった時は面白い現象が起きます。既成産業は上記の理由で参入障壁が高いため、「超過収益」を得ています。簡単に言えば儲かるわけです。で、規制緩和されるとその「超過収益」を求めて一気に他業種が参入してきます。しかし、そのための設備や人材やノウハウを持っていませんから、買収をしたり、資本提携をすることでなんとか「超過収益」を持っている既存の企業にお近づきになろうとします。

 最初はそれで超過収益が手に入るのですが、何せ規制緩和で参入障壁のハードルが下がるわけですから競合相手が増えて、「超過収益」はどんどん薄まっていきます。それでも競合相手はまだまだ入ってくるため、むしろ超過収益どころか収益悪化が起こってきます。M&Aの市場で言えば、規制緩和当時は非常に需要が多くて売り手に有利な展開が続くのですが、少しすると「超過収益」がとれないことがわかって、売り手に不利、買い手に有利な状況が発生します。そしてやがては誰もその産業に参入してこないという状況になります。ミクロ経済学的に言えば「均衡への模索過程」というヤツの結果なのですが、それをビジネスにしているところにとっては堪ったものではありません。

 いわゆる欧米的市場主義経済に移行することが正義であり、規制緩和に反対する者は国益に反しているというような雰囲気が日本でもごく最近ありましたが、よくよく考えればそれは教科書上の話であると言えるでしょう。なぜならば、設備や人材には机上で考えるような流動性がないからです。

《 教科書通りにはいかない過剰能力処理 》
 大型小売業の厳しい収益状況が2009年度決算でさらにはっきりすることがどうやら年度末の今、見えてきたように思います。2010年度の業績予想も、私が聞いている限りなるべく保守的に作成する企業が多いように思います。2000年に効力を発した「大店立地法」は「超過収益」を求める企業によって、行き過ぎた数の出店を生んでしまったというのがどうやら実際の姿のようです。

 で、教科書的に言えば、過剰設備、過剰能力は自然淘汰を受けて、その設備や働いている人員はより必要とされる新しい産業需要に移行すればよいのですが、そう簡単にはいきません。店舗として建設されたものは店舗として再活用する以外の道は難しいですし、どんな産業でも労働者にはスキルというものがあります。近代経済学が考えている「労働投入量」という議論は映画の「モダンタイムス」でチャップリンが演じる単純作業工ならば通じる概念でも、一般的ではありません。それが今の日本の難しい状況をさらに難しくしていると言えるでしょう。

《 過剰能力産業を見る川上の醒めた視線 》
 先日の経済誌の流通業の特集では「不採算店舗は潰してしまえ」という論調に満ちあふれていました。確かにいくつかの業態では自分達で考えることをやめ、リスク回避だけをするようになってしまったことが、最終的には「差別化ができない」という最も大きなリスクを抱え込んでしまったという点で反省しなければならない点があります。また、何人かの経営陣、逆に従業員に危機意識があっても、その危機意識を変えられないという組織的な問題も特に終身雇用を戦後続けてきた日本には存在します。

 ただはっきり言えるのは、こうした姿を川上産業は恐ろしい程冷静で冷淡な目で見ているということです。

 どの業種業態かということは申し上げませんが、業界再編統合において注目を浴びている産業があります。一見するとそこにはものすごい「超過収益」があるからです。しかし気づかなければならないのはその産業は「規制産業」であって、その規制が緩和されたことによってブームが起きているということです。この先ははっきりしていて、短期的にM&A市場では売り手に有利な時期があるでしょうが、それほど遠くない将来に誰もこの産業に参入しないようになるでしょう。過剰設備と過剰能力、そして過剰人員に悩むからです。そしてこの産業に製品を供給している川上産業はやはり極めて醒めた目でその状況を見ています。

 毎度毎度同じ事ばかり書いているようで恐縮なのですが、ベンダーからのファイナンスと川上産業の一見低姿勢な態度の裏にある、醒めた視線にそろそろ消費産業、特に川下産業は気づくべきであると思います。すべての事象は力関係であり、如何に怖がられる存在になるかでしか利潤の移転は起こりません。果たして自社は、自分達の産業は、川上産業の大きさに比べて怖がられる存在であるのかどうかゆっくりと見直してみる必要があると思います。

《 「潰しゃいんだよ、潰せば」 》
 金曜日にある決算説明会で同じ会社の大先輩アナリストにお会いしました。今はアナリストではなく、全く別のお仕事をしておられるのですが、業務上の関係で説明会を聞きに来られたそうです。

 で、立ち話した時に「佐々木、どう思う?、今の(消費の)状況」と聞かれました。しかし、大先輩に意見を申し上げるのも恐れ多いのでニヤニヤ笑いしていたら、先輩は自ら「オーバーストアだよな、オーバーストア。潰すしかねぇんだよ。一番最初に店潰して、割増退職金を払っても過剰能力を解消できるところだけが生き残るんだよ。ま、三割はいらない店だよな。」と笑って仰いました。この醒めた視線はまさしく、川上産業の視点にそっくり。アナリストという縛りを解き放して、俯瞰をするとこういう結論になるのかと頭を抱えたくなった瞬間でした。

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