▼ 慶応大学の国領二郎先生のDXについてのお話を聞く機会があった。書店にいけば、いまだに流行りのように「DX本」が並び、さて開いてみても概念論ばかりでサッパリわかりまへーん、という状況は変わらない。わざとわかりにくいように書いて、別の本を買わせる為の策略かとさえ思う。

▼ そんな難解なテーマを先生は、とても分かりやすい言葉で教えてくれた。厳密に言えば著作権のこともあるのだろうが、多くの著書、論文、記事にも書いてあることなので、ここでエッセンスを記載するのは許してくださるだろう。

▼ DXというのは「これからは今までのビジネスやら人の生き方の世界を変えてしまうよ」という考えなのだと先生は仰る。ITやIoTやクラウドや諸々の技術は、DX社会をもたらす要素、ツールなのだと。コロナ禍が良くも悪しくも社会生活を変えてしまったように(ex.オンライン会議、在宅業務、ワークライフバランスの変化など)、社会自体の変化、それがDXであると。

▼ 例えば「情報の非対称性」と言う言葉がある。要は「情報を知っている人は、知らない人よりも得をする」ということだ。株や外国為替などの金融商品、不動産や商品相場取引を考えて貰えばよくわかるだろう。大昔の証券会社は、「来週はこの企業の株を全社で顧客に勧めるぞ!」と伝えることで株価がつり上がることを予想し、それを事前に上顧客に教えると言うことが平気で行われていた。今ならば相場操縦でとんでもない話なのだが、そういう時代もあったということだ。

▼ わかりやすいのは日本特有の業種である総合商社の誇る情報力だろう。一大財閥を作った「鈴木商店」という商社は、第一次大戦がすぐに沈静化するというあらかたの読みを、徹底した情報力で長引くと予想し、それによって大量の収益を稼いだ。総合商社が今なお、産業界で大きな力を持つのはこの情報力のおかげだ。

▼ しかしながら、いまや誰もがパソコンどころか、スマホで世界中に点在する情報にアクセスして、情報収集し、分析することが出来るようになった。こんな時代に、「オレ知っている人、お前知らない人、オレ儲ける人、お前設けられない人」というモデルは衰退した。ならばその情報をバラ売りするのではなく、情報を見てめいめいが持っている知見や知識や情報を繋がって集めて、共通言語として巨大化することこそがカネになる。プラットフォームの誕生だ。

▼ 先生は、これまでの産業の常識の「収穫逓減の法則(=規模が大きくなりすぎると成長が伸び悩む)」がないのがDXの今までと違うことだと言う。繋がれば繋がるほど等比級数的に(今風に言うならば指数関数的か)収穫が「逓増」するのがプラットフォームビジネスだからだ。

▼ さらに面白いのは、これが文化論に繋がることだ。

▼ 繋げる、集めるということは、「個」を重視し、「個」の属性を開示することを嫌う西洋文化には実はおさまりが悪い。むしろ、信頼し、信用し、互いの尊敬がなければ情報や知識、知見の共有は成り立たない。極めて東洋的な文化だ。なるほど、だからこそ逆に言えば、欧米社会はESGにしてもSDGsにしても、何か明文化したルール(タクソノミー)を作らないとプラットフォームができないのか。GAFAMのオフィスの素晴らしさ、美しさ、自由奔放さは皆憧れるところだが、な文化は互いに信頼と尊敬がなければ成り立たないモデルだからからなのかもしれない。

▼ 先生は、IoTが進化し生まれるのはヒト、モノ、カネ、情報のトレーサビリティであろうと予測する。トレーサビリティ、それは社会から受けた恩恵を社会に返す世界だ。ああ、なるほどここで世界三大宗教に共通する、布施や博愛の精神が出てくるのか。そう考えると、DXはとてつもない哲学と生き方の話になってくる。

▼ DXとはいまだにITであり、ICTであり(どう違うのか僕にはよくわからないが)、情報化社会だと言う評論家は多いけど、実は根本的にビジネスのあり方や生き方が情報技術の進化で変わりますよという話なのだと、ここでキッチリ認識しておかねばなぁ、と思った。

▼ で突然話題は変わるようだが、実は根っこでは繋がっているのでご安心を。先日、前職の同僚と一杯やった。アルコールは20時まで、店自体も21時までとせわしなくはあったのだが、久々にゆっくり話せることの楽しさがそれを吹き飛ばした。互いに前職を退職した経緯、その前のお互いの経歴(じっくり話したことがなかったので多くの共感できる部分を得た)、その後の人生の送り方、悩み、考え方の変化などなど。傍から見れば話はあっちこっちと飛んでいるのだろうが、繋がりによってお互いの情報蓄積が進み、そしてそれが信頼と信用に変化していくのを心で感じていた。つまりはこれもDXなのだろう、こじつけかもしれないけど。何より、お互いに退職をしてから繋がっていたのはSNSという細い一本の糸だけで、それを通じて「久々に一杯やりませんか」ということになったのだから、IT無しには彼と話すことはなかったろう。

▼ 恐るべしDX、なるほどDX、そんなことを感じながら先生のお話を伺っていた。

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