▼ 相変わらず司馬遼太郎の「峠」を読んでいる。当時の日本では誰も想像しなかった、経済力と軍事力を保持した「永世中立地域」を欧州におけるスイスのように作ろうという主人公 河井継之助の想いが絶たれる「小千谷会談」から北越戊辰戦争に向かうところだ。

▼ 決して彼だけではなく、多くの維新の偉人たちがそうであったように、戦による国力の疲弊は新国家樹立において望むところではなかった。しかし、それぞれの者にはそれぞれの事情がある。西日本きっての大国であった長宗我部や島津が関ケ原の敗戦により、中四国九州に追いやられ、領地も没収されひたすら屈辱に耐えてきたし、一方で徳川の1サポート役でしかなかった牧野家が譜代大名として長岡後を得て、300年の平和と繁栄を得た。それは歴史であり、作為ではない。いわば運命というものであり、運命を運命として受け入れられないことはアンビバレンツをふつふつと持ち続けるしかなかろう。

▼ 表題は中立地域として長岡を活かそうと考えた河合が北越戊辰戦争への参戦を決意したときに述べた言葉である。口語訳すれば、「何が正しく何が間違っているかは歴史が落ち着いてからであり、それには100年かかるだろう。そして100年後にしか自分達のしたことが正しかったかどうかは評価されないことなのだから、いたずらに心乱さず、戦って玉砕するもやむなしと考えよう」、こんなところだろうか。

▼ 産業企業分析をしていて常に考えるのが「何が正しい経営だったのか」である。ライフワークであるダイエーにしても、また同じ2000年ころに経営的な失敗をしたヤオハン、マイカル、など多くの流通業が失敗したことを、かまびすしく雑誌やメディアの記者は書き立てる。しかし、多少だが彼らよりは長くこの産業企業を見てきた自分にとって、その見方が甚だ浅薄でしかないことが多く、心乱れることも少なくない。ことはそう単純ではないのだ。そうでなければ、維新の立役者西郷隆盛がなぜ西南の役で山城の地で命を落とさざるをえなかったか、華やかな経営と業績を満喫している流通業の経営陣にはダイエーやセゾングループの人間がいるのかの理屈が通るまい。繰り返す、ことはさほどに単純ではないのだ。デジタルのように0と1、プラスとマイナスでは説明できぬ。

▼ まだまだ多くのことが評価には100年(それなりの時の、という意味である)かかるだろう。長岡、長岡と書いている関係上、田中角栄氏もそうだ。昭和30年代後半生まれの私にとって田中角栄は「今太閤」ともてはやされたものの、「日本列島改造論」で土建箱物産業に国費を使い、ロッキード社から賄賂を得て、失脚。そのあと持病が元で辛い晩年を過ごした政治家というイメージがこびりついている。しかし、数年前の石原慎太郎氏の田中氏に関する新刊から田中角栄氏見直し論が盛んだ。実際、2018年のNHK特集でのロッキード事件の特集は「未解決事件」シリーズであった。つまり、ロッキード事件は未解決事件なのだと公営放送が認めたとも言える。

▼ 事実、数少ないものの動画サイトにある田中角栄氏の述べる国家構想には傾聴に値するものも少なくない。「経済が成り立たないのは交通手段がないからだ。道を通せ、トンネルをほれ、新幹線を通せ、在来線を拡張せよ。さすれば土地はいくらでもあり、そこに工場をたて、雇用を産めばまだまだ日本は成長の余地がある」、それが日本列島改造論の意図するひとつであった。まさしくそれは現代では、「ロジスティック戦略なしに、企業収益なし」というロジ重要性のことであるし、今、日本が直面しているインフラ整備・修繕の必要性でもある。事実北陸新幹線が通ったことによって、長野だけでなく、富山や金沢はさほど遠い場所ではなく、多くの観光客が訪れることのできる土地となっている。

▼ メディアの討論番組は嫌いではない。しかし、しばしば嫌な気分になるのは、今すぐに評価をしようという性急な論客達だ。これにファクトに基づいていない感情論がついているとさらに嫌気が増す。世界中の地政学リスク、モノの考え方が変わる中、果たしてどれが正しかったかなどは今すぐはわからぬ。できるのはひたすらにそれぞれの立場において最善と思われる道を選ぶことしか無い、そういうことなんじゃないだろうか。