▼ 時々、ふと司馬遼太郎が読みたくなる。私のお気に入りは「功名が辻」「竜馬がいく」「国盗り物語」など雑多なのだけど、そこに常にあるのはAとBの二項対立を通じて見せる「日本とは何か、日本人とは何か」という命題の投げかけだ。

▼ この夏休みは東日本大震災の爪痕を見たくて福島から三陸沖へと車を走らせた。そのうち、大地震があったにも関わらず大きな被害を受けなかった柏崎刈羽原発と大事故を引き起こした福島原発の差は何かを知りたくて、太平洋側から日本海側に一気に車を走らせた。しかし、そこで興味を引いたのは、長岡という土地であり、そこから生まれた中井継之助、山本五十六、小林虎次郎、そして田中角栄という人物たちであった。

▼ この長岡の偉人には共通点がある。正論を徹底的に吐くことと、しかし、正論がゆえに幸福ならざる晩年を過ごすことだ。中井継之助は自分の信念に忠実であるがゆえにしたくもない北越戊辰戦争をし、それがゆえに一家はしばらく長岡に住めなかったと聞く。その名誉回復をしたのが司馬遼太郎の「峠」だ。山本五十六も米国留学で国力の圧倒的な差を知り、米国との開戦あるまじと主張したが、それがゆえに軍部に疎んじられ、航空機の時代を予見しながら海軍のヘッドを任される。田中角栄に至っては経済が先かインフラが先かという根本的な経済議論でインフラを選んだがゆえに、政敵を生み、いまだに不明なロッキード事件の犯人とされ、NHKで「未解決事件」という番組のテーマをされている(糾弾されている番組ではない、未解決事件である)。

▼ これらすべての偉人に共通なのは、正論と正論は好まれないという二項対立を人間構図の中で見せることで、彼らの悩みと生き方と後年の我々が考えるべき課題を投げていることだ。司馬は言う、「日露戦争で勝利してしまい、日比谷公園で買ったのだから賠償金をとれと群衆が叫んだ時から日本は変質したのではないか」(https://www.youtube.com/watch?v=sSNV0Mnh-WY)。「現実をみない、ポピュリズムに迎合する社会」はまさしく今の日本が陥っている罠であり、司馬史観の真骨頂はここにある。

▼ 「竜馬がいく」もそうであった。隠れた英雄譚として埋もれていた坂本龍馬を探し出したという土佐地元の名誉を探し出すと同時に、実は彼は無責任なテロリストではなかったのかという疑問をあちこちにちりばめている。現実、高知出身の高名な漫画家 西原理恵子さんは竜馬はテロリストに他ならないと述べている(2019年9月19日 ツイッター@RiezoBot 「大化の改新もテロだしなー。坂本龍馬もテロリストだしなー。で、偉いのは司馬遼太郎。」)。この冷ややかな視線こそが司馬遼太郎の二項対立を見事に表現している。

▼ しかし、それが司馬遼太郎の価値を下げることにはならないだろう。彼は二項対立から日本を見ようとしたのだ。稀代の作家だ。