• 前回のコラムからの引き続きの話題で恐縮。最近、若い仲間達と自由なブレインストーミングをする機会があった。テーマは「日本流通業の未来における可能性」だ。過去の様々な先駆者企業のことを念頭に置きつつ、今、話題となっている流通業、例えばドン・キホーテ(PPIH)やトライアルHDやロピア、ユニクロといった企業の「未来」を考えよう、というものだ。そのために持ち寄った問題意識は以下の通りである。「話題企業が手に入れた市場シェアはどんなものか?」、「チェーンストア理論の成熟と飽和は本当か?」、「それら勢いのある企業は海外展開の可能性があるのか?」。
  • 2026年現在、注目され話題を集めている勢力の躍進を前に、実務家、業界メディア、そして調査研究で関与する者達は「新しい時代の到来」を称賛する。しかし、小売業の興亡を30年強見つめ続けてきた筆者には、それが「かつて見た光景」の再来にしか見えない、というのが偽らざる気持ちだ。こんな老成したことをいうと、NHK番組の「チコちゃん」よろしく「つまんねーヤツだな~」と叱られるかもしれない。
  • しかし、振り返るとダイエーの中内功氏による徹底的な「反対勢力」への抵抗や、セブン-イレブン・ジャパンの鈴木敏文氏が築いた様々な新機軸も、当初は既存の秩序を壊す「革命」だった。それに多くの人間が熱狂し、また消費者は恩恵に浴したが、悲しいことにそれらは今やその輝きを失っている。どんな革新的モデルも、組織が肥大化し、創業者の「狂気」が「管理」に置き換わった瞬間、金属疲労が始まるという印象を禁じ得ない。「如何なる産業であれ当初の革命・革新さはマンネリとなっていく運命にあるのではないか?(イノベーションのジレンマ)」、「特に組織は必ず硬直化し、『ルールのためのルール』がはびこるようになる」、「金科玉条のように守られている理論は常に『金属疲労』を起こすリスクをはらむ」、これが産業企業の必然的な運命ならば、それを諦めて新陳代謝を受け入れるのか、それとも抗う方法はあるのか?。
  • 筆者は最近、しばしば「悪意なき組織の悪意」という言葉が頭に浮かぶ。誰もが所属する組織や企業をより良いものにし、顧客に良い商品やサービスを提供しようと必死だ。しかし、組織がシェアを獲得し、巨大になればなるほど、まるで「悪意」をもっていくことに違和感を感じる。例えば、文章化されていない「暗黙知」のルール化であるし、同調圧力であるし、その結果の忖度、違反行為の見逃しなどだ。誰もこんなことは望んではいない。しかし、「望まれているのでは無いか」という疑心暗鬼を産んでいるような、そういう「組織の悪意」を感じることが増えた。もっとも「法人」というだけあって、ヒトではないのに「まるで人格をもつように動き出す」からには、組織の「悪意」は必然なのかも知れないが。しかしながら、必死で他社とは違うルートで山を登ろうとしている創業者、上部経営者にとっては、この「自動思考」は邪魔な忌々しいものに違いない。
  • ブレストミーティングではこんな疑問も出た。「市場シェアを追うことはビジネスの鉄則。なぜ今の成功者が先発組と同じ運命を辿ると言えるのか?。それはあなた(=筆者)が過去の事象に引きずられているからではないか?」、鋭い指摘だ。得てして長い経験を持つものは、すべてをその経験に当てはめようとしてしまう。しかし、筆者の考えは前回のコラムで触れた通り「現金商売=回転差資金」の存在が大きいように感ずる。他産業なら倒産する経営の拙さも、この資金繰りの余裕で覆い隠されてしまう。いわば、「死なない程度の安全性」が経営のバージョンアップを阻害しがちだからだ。誤解を怖れずに言えば、この「麻薬」から脱却し、自らを律する新しい論理を持たなければ、先発組と同じ海に沈むリスクが高い。
  • 「勢いある企業は海外展開というニューフロンティアはあるか?」、若い仲間の疑問に戻ろう。海外に居住する日本人を顧客に海外展開した百貨店やヤオハンのようなスーパーを除けば、海外展開と頭に浮かぶのはユニクロの世界進出とドン・キホーテの近年の成功だろう。筆者の結論としては「ブレークスルーはあるし、その実例もある」だ。この二社を例示すれば、共通点はローカルで受け入れられ、歓迎される商品力に尽きる。ユニクロのアフォーダブルプライスとそれを超えるクオリティ、ドン・キホーテの日本でのバラエティストアとは違った生鮮食品での圧倒的な強み(特に日本食的な分野)は、他社の追随を許さない。平坦な道のりではなかったが、それを切り拓く大胆さと丁寧さがあったことが今のポジションを形成している。国内という「コップの中の嵐」を脱することは決して夢物語ではない。「過去のくびきにとらわれなければ」である。
  • 最後に仲間からのユニークな意見を紹介して本稿を締めくくりたい。「ショートタイムショッピング」という言葉が流通業界で言われ初めて、もう30年程度になる。それは、「買い物は娯楽」ではなく「買い物は苦役」という考え方であり、バラエティ番組的に言えば「昭和の価値観」から「平成・令和の価値観」へのシフトだ。しかし、このことを筆者が述べると、もっと割り切ったユニークな意見が若い仲間から出てきた。「買い物が娯楽か苦役かという二択では無く、相対的なものに過ぎない。話題企業での買い物が楽しく見えるのは既存の店があまりに「退屈」だからだ。売れる商品は自ずと決まっており、勝負は「何を売るか」ではなく「どう見せるか、どう売るか」という芸術的独創性の領域に移っている」、なるほど。
  • とすれば「未来はあるか?」の問への答えは「ある。但し、正確に現在の経営環境と市場(消費者)の購買行動を把握すれば」というものだろう。21世紀も既に四半世紀が過ぎたが、改めて感じるのは「私たちは20世紀型チェーンストアの『看取り』の段階にいる。 この先にあるのは、「自律分散型」の新しい商い=「IT・DXといった新しい道具を使いこなす現代の江戸商人の集まり」なのだろう。「簡単じゃ無いけど、ちょっとワクワクする感じがしますネ」、若い仲間から出た一言に救われる気分がした。

         (了)

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