▼ 先日読んだ経済雑誌で「通信販売、eコマース」の特集があった。主張はわかりやすい、「いまこそ通販・無店舗販売、なかんづくEコマースに参入せよ、さもなければ君は乗り遅れるであろう」だ。

▼ 事実、多くの小売業、卸売業、外食といった消費関連産業がこうした無店舗販売に興味を示している。Amazonが長年の赤字にも関わらず、多額のキャッシュフローを稼ぎ、それを革新的な投資に向けているからこその赤字であることを理解した今、猫も杓子もEC、EC、ECだ。

▼ しかし、興味を示す動機はあまり革新的ではなく、極めてトラディショナルなものだ。要は店舗小売における売上高の確保が難しくなってきたこと、その一点に尽きる。「溺れるものは藁をもつかむ(尤もECは藁ではないが)」、そんな態度が垣間見えて仕方がない。

▼ しかし、なのだ。一方で、ECの祖先とも言うべきカタログ通販の惨状をご存知で仰っているのか?。データベースマーケティングだ、CRMだ、チャネルごとの顧客ニーズの把握だと1990年代に語った彼らが陥っている無間地獄には目を覆わざるを得ない。

▼ 有店舗販売の小売業が通販やECに関心を示す一方で、通販やEC業界が有店舗販売に興味を示している、中にはリアルのショッピングモールに出店することで将来を手にしたと強弁する経営者がいるというこの状況は何なのだ?。

▼ 所詮は「隣の芝生は青い」を地で行っていってわけで、そこにあるのは「ないものねだり」でしかない。小売業らしいオツムの悪さを露呈している。それを見ているメーカーや卸や真のEC企業達の冷笑が目に浮かぶ。

▼ 結局は、規模と売上とそれに伴う値入の改善とリベートだけに目が行っていて、顧客が何を欲しがっているのか、世の中で知られていないgood merchandiseを消費者に知らせたいなどという高邁な思想は彼らにはないのだろう。「現金商売の旨味」、それだけで自転車操業している姿は数十年前を何ら変わりがない。

▼ ちょっと前になるが、20年ぶりだろうか、本当に久しぶりに伝統的カタログ通販の物流センターを見学した。そこで見たものは、「多品種、少量、不定形」な商品群の山、そして返品された山積み在庫だった。返品された商品は無残にも箱から出され、コンクリートの床に転がっている。これを再び再出荷できるようにするのか?、いやいや、取引先にこのまま返すのだろう、「取引先のリスクとコスト」で。

▼ とはいえ、その企業だけを責める気にはなれない。以前のアイテムあたりの受注数が多く、立体倉庫にパレット単位で商品在庫の入出荷が出来た時代が終わったことがすべての元凶だ。いわゆる、「ロングテール」。それに対応するにはあまりにもロジのメッシュが粗すぎる。しかし、気づいた時にメッシュを細かくし、ロングテールに対応する在庫管理システムへ投資するカネはもうなかったのだろう。

▼ 当然のことながら、ピッキングエリアも様変わりしている。「デジタルピッキング」で一斉を風靡した、見かけデジタル・内実労働集約のカタマリであるピッキングはもはや機能限界に来ている。人が棚を回ってピッキングするのか、梱包ブースを大量に設置して自動振り分け機で落とし込みするのか。いやいや、これだけのSKUを扱うようになったら、どちらも効かないだろう。

▼ 故・中内功氏が経営危機に陥ったダイエー、そしてGMSを表して言った「なんでもあるけどなんにもない」は、今の多くのモノマネ無店舗販売の状況を示している。

▼ 筆者の足は大きく28cmある。しかも甲高EEEE。普通の靴屋でフィットする商品を探すのは苦労以外の何者でもない。だから、大丸松坂屋通販「D-mall」の二足12,000円のカンガルー革の安物ビジネスシューズを愛用している。

▼ なのに、だ。GINZA SIXを始め、パルコの買収、売上仕入からリーシングへのシフトと画期的な経営革新を薦めるJFRのこの「D-mall」の仕組みは笑ってしまうほど時代遅れだ。電子カタログをwebで開く。商品の検索はできないから(カタログをスキャンしているだけで、文字がハイパーリンクしていないのだろう)、「紳士」「雑貨小物」「靴」とページを画面上でめくる。

▼ ようやく見つけた目的の商品には、(1)商品番号、(2)型番号、(3)サイズ番号があり、その脈絡のない数字の羅列を、発注するためにはもう1画面の発注用ポップアップを開いて入力せねばならぬ。Amazonならば、ポチルだけで済むことをこれだけの苦労してカートに入れると、「品切れです、入荷がいつになるかわかりません」と出て来た時は脱力する。楽天の品切れの多さもたいしたものだと思うが(もちろんけなしているのである)、それを超える酷さを天下のJFRがやっているとは思わなかった。さすが、千趣会に出資する企業だけある。

▼ そして、まあ、なんとか届いた商品がこれまた素晴らしい。一回履いただけで表面の革が擦れるのだ。うーん、これってイオンのベストプライスよりクオリティ悪いぞ。さすがリーシング丸投げのJFR、商品品質なんかどうでも良いのだろう。尤もその靴を後生大事に、かかとがすり減るか、接着剤が剥がれて雨水が入るまで使う自分も自分だと思うのだけど。

▼ こんな日本の一部のEC事情を見ると、The Eaglesの名盤「Hotel Calfornia」の最後の曲「The last resort;最後の楽園」を思い出す。

▼ メイフラワー号に乗り、ボストンに上陸した人々は西へ西へとフロンティアを広げていく。途中、先住民族のアメリカンインディアンの土地と命を奪い、Civil Warで仲間割れをし、多くの非白人を奴隷にしながら、西へ西へ。しかし、もうこれ以上の西は海だと気づいた時に彼らは”No more new frontier”と気付き、己がしてきた悪行の限りに思いをはせるのだ。

▼ Amazon批判も良かろう、zozo批判も良かろう。しかし、Amazonのように20年間、すべてのキャッシュを投資につぎ込むということをあなた達はしてきたのか?。zozoの前澤氏のように、物流センターの真ん中にポツリと社長席を作り、そこで流れ行く物流のボトルネックがどこで何故起こるのかを見てきたのか?。倉庫、物流、在庫作業は「汚い」ものとして、子会社とそこに飛ばした人材にやらせてきた日本の多くのEC業者にはAmazonやzozoの背中はあまりに遠い。

▼ zozoにナカヌキされるのがいやだからと自社ECをやるんだと、まるでデジャビュのようなことを言う経営者が増えてきた。しかし、社長、汗まみれであんたが適正在庫開発のアルゴリズム開発と物流コンベアをくまなく知らない限り、ECは似非ECに過ぎませんぜ。

▼ とはいうものも、新しいfrontierを日本企業に見つけてほしいというのも本音なのだけど。