• 今回のコラムはあまり楽しくない話題から入るが、お許しいただきたい。長患いで闘病生活を送ったものの、有効な手立てがないということで本人覚悟のうえで治療をやめた義母が先日亡くなった。義母が旅立ったのは淋しいが、延命治療をせずに安らかにという本人の希望が叶ったことは良かったと考えている。最後までコミュニケーションが取ることのできた義母は、「あんたたちも疲れたでしょう。もうそろそろいいのじゃないかねえ」と二人の娘に言ったそうだ。報せが来る前日のことだ。その意思の強さに戦後の日本復興を支えた昭和一桁生まれの強さを感じ、頭が下がる。
  • 故人の遺志で葬儀は、いわゆる「家族葬」で行われた。通夜なし、宗教的な行事も無し、義母との別れを惜しみつつ、納棺し、火葬し、その夜に家族でささやかな食事を遺影を前にしたという簡素なものだ。数年前の筆者の母の時もほぼ同じスタイルだったが、義母の時も母の時もそれはとても静謐で良い葬儀だった。
  • ただ、ここが筆者の仕事の因果なところだが、ふと「葬儀」を事業として行っている業界の収益性について考えてしまった。ここ数年、色々な訃報に接する機会が増えたが、ほぼ必ず「弔いは家族葬にて行いました。香典や供花、弔問につきましては、固くご辞退します」という言葉が添えられている。大規模葬が行われるのはごく一部となった。こうなると、「葬儀」を事業として行っている業界や企業にとっては、単価の低下は深刻であろう(単価、などという非礼な表現を使うこと、あらためてご容赦願いたい)。ある神奈川の葬儀社が開示している葬儀費用は2013年202.9万円が、2024年118.5万円と約半分になっている。ちなみに別の葬儀社が開示しているデータによると葬儀費用の大まかな目安は、一般葬122~161万円・家族葬96~105万円、一日葬74~87万円、火葬式42~49万円であり、近年増えている家族葬の増加が葬儀費用を押し下げる理由であることが推測できる。
  • しかし、死亡者数・葬儀件数の状況は丸っきり逆だ。内閣府によれば、2040年にはピークの168万人死亡が予想されている。また葬儀業の売上高と件数は、経産省の調査によるとコロナ禍による一時的な現象をのぞけば、一貫して増加している。つまり「葬儀単価はおおよそ半分程度になっているが、死亡数と葬儀件数は増加しており、単価を数量でカバーするという市場構造」とまとめられる。
  • ふと似た例はないかと考えついたのが冠婚葬祭の「婚」、つまり「結婚式」だ。婚姻件数は減少し、独身比率が上昇、出生数が激減していることはいうまでも無いだろう。こども家庭庁の調査によれば、1972年に109万組だった婚姻件数(過去最多)は、2023年47万組と半分以下に減少している。また、厚生労働省の最新調査(2020年)により未婚割合(=独身比率)は増加が顕著で、特に男性女性ともに25~34歳の未婚率が40年間で急速に上昇している。これから推測すると、結婚式件数は大きく減少しているのだろうと筆者は推測していた。
  • しかし、あにはからんや。確かに結婚式(挙式・披露宴)は直近で10年前の38%に減少(9.4万件→5.9万件)しているが、結婚式場売上(挙式・披露宴)は25%の減少(3150億円→2350億円)にとどまっている。婚姻率の低下が大々的に報道され、「婚活」「マッチングアプリ」「街コン」などが社会現象と騒がれているのと比較すると、結婚式市場の現実の縮小幅は小さい。結婚雑誌として有名な「ゼクシィ」の年間特大号である12月号の発行部数もここ15年で22%増加しているという情報もある(日経MJ 2024/1/28号)。
  • ここでふと思い出すのは再び義母の葬儀だ。第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した「おくりびと」で有名となった「納棺師」がしてくれるサービスを、映画のシーンほど大がかりではないが義母の際にはお願いした。専用の器具に体を横たえ、長い間きれいに出来なかった体と髪の毛を丁寧に洗って、きれいにお化粧をしていただいた。特に洗髪している時の義母は、「あ~、やっぱり髪の毛を洗うのは、気持ちいいわねえ」と話し出すのではないかと思ったほどだ。参列した家族は全員、「自分の時はこれがいいなぁ」と呟いていた。
  • 結婚式もそういった「新たなサービス」が人気を呼んでいる。ホテルや結婚式場で披露宴をあげる筆者の時代のやり方は影をひそめたが、人前式で結婚式を挙げ、友人が発起人となったパーティ形式や当事者も一緒に楽しめる自由な「お祝いの会」が従来の披露宴の代わりに増えている。また、丸の内仲通りや荘厳なレンガ造りの東京駅前広場などを歩くと、いわゆる「ウェディングフォト」を撮影している場面をよく見る。お天気は人の都合に合わせてくれないので、雨だったり、もの凄く寒かったり、暑かったりという日も少なくないのだが、被写体の二人の笑顔ははきれんばかりだ。また、たまたま通りかかった通行人も「お嫁さんよ!」と目を細めながら見ていたりするのも、心温まる光景だ。つまりは、こうした「挙式・披露宴」の範疇に入らない部分に「結婚式」需要がシフトしている。
  • 調査分析研究をしていると、ついつい数字に拘泥しがちだ。そのこと自体が悪いわけでは全くないが、数字の裏側にある事象に気づくこと、つまりは「表層的な常識の裏を知ること」が、新たな発見や事業機会に繋がることだと、葬儀と結婚式の例は語っている。
  • 飛躍的にAIが進化し、IT機器で世界中のあらゆる情報にアクセスできる時代の中、「過去の歴史や経緯などは知る必要がない」という考えが社会に蔓延しつつある。親しい産業調査研究をしている友人が、若手向けの研修である産業のバックヒストリーについて語ったら、「オッサン、もう昔話はええわ」と受講生の顔に書いてあるような表情ばかりで嫌になったと嘆いていた。しかし、以前の「まるで、幽霊ではありませんか」でも述べたが、ヒストリーや過去の経緯(作品中では「前世の因縁」という言葉が使われている)を知らないことは、「土台を持たない建物」のような危うさに似ている。AIは膨大な情報を教えてくれるが、そのベースはビッグデータであり、それが「確からしい」か否かの検証のアルゴリズムは依然としてブラックボックスだ。
  • NHKが1995年に放映を始めた「映像の世紀」(全11回)は、それから30年が経った今も新たな映像アーカイブと視点を付与して、「映像の世紀 バタフライエフェクト」として放送されている。週初めの月曜の夜に見るには重いテーマであるにも関わらず、この番組のファンは多い。それは過去の歴史と経緯を知ることが、現在とのつながりを強く感じさせるからだろう。いわゆる「賢者は歴史に学ぶ」ということを実感できることがこの番組の価値だ。実際、コンプライアンスなどとかまびすしくなる一方で、おおよそその価値観とは逆の「熱闘風呂」や「どっきりカメラ」や「ギャル」などのテレビコンテンツについて懐かしがる「昭和・平成レトロブーム」がZ世代を中心に広がりを見せているのも、現代の常識の裏側に別の価値観や機会があることの証左であるように感じる。不謹慎ではあるが、義母の葬儀に参列しながら、そんなことを考えた。

(了)

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