▼ 伊勢志摩サミットで安倍首相が「経済状況がリーマン前に似てきた」と発言したとのこと。これで消費税10%引き上げは再延期になり、ダブル選挙の可能性も出てきた。本気で勝ちに行くなら財務省を無視して消費税5%もあるかもしれない。

▼ 詳細が知りたくて新聞を読んでいたら、横に「リーマン前は言い過ぎだろう」という識者のコメントが掲載されていた。そうかなあ、言い過ぎかなあ。だって、リーマンショックだって事前に予想した識者は誰もいなかったんだぜ。みんなムーディーズやS&Pが格付けトリプルAを付けていた訳のわからない金融商品を買っていたじゃない。「後から言うな」にならなきゃいんだけどね。

▼ 色々なニュースで隠れてしまっているけど、米国では大統領候補選が今も話題。トランプ氏はトンデモ人間だし、クリントン氏はメール事件でやばそうだし、サンダース氏は今頃修正社会主義かよ、アメリカ大丈夫か?と思う人は少なくない。でも、そこにこそ「リーマン前に似ている」と首相が発言する上京が集約されている。

▼ トランプ氏とサンダース氏、水と油のような二人の支持者層に共通しているのは「この富の偏在はおかしくないか?」という素朴な疑問だ。努力すれば豊かな生活ができるはずだという良きアメリカンドリームを信じたい人間がトランプ氏を、そもそも金儲けなんてできないんだから何か替えなければという人間がサンダース氏を支持しているだけだ。同じ景色を右から見ているトランプ陣営と左から見ているサンダース陣営という違いだけだ(となるとクリントン陣営は上から目線かな?)。

▼ リーマンショックは間違いなくひとつの大きな屈曲点だった。それは「どんなに貪欲であっても、神の見えざる手によって正しい方向に導かれる」という古き良き前期資本主義が終了し、市場調整機能を超えてコントロール不能に陥る後期資本主義の時代になる予兆だった。あれから8年、今、世界の富はわずか1%に満たない人間によって99%以上が保有されている。学生は奨学金を返せず、労働者は旧態依然の人事制度下で働き、病み、高齢者は「楢山節考」のような生活を予感し恐れている。これがわたしの道なのか、である。

▼ フォークソングは連合赤軍事件以降、「われわれ」から「わたし」の世界、つまり個の世界に入り込んだ。科学技術とインターネットの発達は人のつながりを拡張するかと思いきや、より個の世界への入り込みを容易にした。物理的にも心理的にも容易に引きこもることができるようになった。電車でスマホを乗客全員が見えている図は「1984」そのものだ。

▼ しかし一方、これだけ進化した科学技術を使って労働をより楽なものにし、有限な時間資源をもっと別なものに振り分けられるのではないかという気持ちが巻き起こってもいる。昨日報道されたアディダスがロボットを使って国内生産に再参入するという話や、AI利用やIoTの夢について語られるとき、それは今までの「金儲けになりまっせ」という貪欲な匂いだけではない、何か「ねがい」のようなものが込められているようにも感じる。

▼ そういわれてみると、若者世代が聞く音楽には再び「われわれ」「わたしたち」というwordsが増えているような気がしている。時代は変わりたがっているのかもしれない。