▼ 先日、ある小売の創業者が勇退を表明しました。曰く、「この居心地の良い場所にあと三年いたら抜け出せなくなる。だからやめる。後進に道を譲る。」 

▼ 彼の名前は安田隆夫。そう、ドンキホーテの創業者です。その勇退挨拶の御挨拶を天才します。ご興味ある方は一読ください。読んで「きれい事だな」と捉えるか、唸るかは自由であります。

「安田会長勇退挨拶全文」

勇退のご挨拶

 この度、私儀安田隆夫は、今期末(2015年6月30B)をもって、ドンキホーテホールデイングス代表取締役会長兼CEO(最高経営責任者)の職を辞し、後進の大原孝治(ドンキホーテホールデイングス代表取締役社長兼COO)にCEOの座を譲ることとしました。同時に、国内のドン・キホーテグループ各社の取締役の辞任も決意いたしましたので、ここに謹んで表明し報告させていただきます。

『ビジョナリーカンパニー|化に向けて
 振り返れば、私の脳裏にはっきりと「引退」の二文字がよぎるようになったのは、今から4年ほど前、私が62歳になった頃と記憶しております。できれば3年内を目途に、すなわち満65歳までには、自らの意志で経営トップから身を引こうと、密かに心に誓いました。
 なぜそのような思いに至ったのかと言えば、創業経営者である私が、気力、体力とも十分なうちに「勇退」(ここでは”引退”ではなく敢えて”勇退”とさせていただきます)することこそ、ドン・キホーテがこれからも長期にわたり隆々と栄えて行くための、避けて通れない絶対条件になるだ
ろうと考えたからです。
 言い換えれば当社も、(カリスマ経営者不要の経営を良しとする)「ビジョナリーカンパニー」化への脱皮に向け、圧倒的な影響力を持つ創業経営者である私と企業との、いわば「子離れ・親離れ」を断行すべき時期に、そろそろ差しかかったということかも知れません。
 ところで、皆様もよくご存じのように、ドン・キホーテは独自の権限委譲システムによって成長し、流通業界に確固たる地位を築いてまいりました。いわば権限委讓は、当社グループにおける最大の成功要因と言っても過言ではないでしょう。
 当社が大きく成長するに至った分岐点はいくつかありますが、その中でも最たるものとして印象深いのは、ドン・キホーテ1号店(府中店)開業当初の、生みの苦しみの時期における出来事です。
 その頃の私は、新たに始めた小売業(ドン・キホーテ)と、資金面からそれを支える、当時の本業でもある問屋業(リーダー)とを掛け持ちで経営しており、それこそ寝る暇がないほど働きづめの毎日でした。しかしさすがにその無理が出て、徐々に小売業の方には手が回らなくなり、店は思うに任せない苦しい状態に追い込まれます。
 そしてやむにやまれず、現場の担当者らに、すべての店業務を丸投げするようにして任せたのが、権限委讓の始まりでした。しかし結果としてそれが、その後のドン・キホーテの大きな飛躍につながったことも、皆様よくご承知のことと存じます。
 私は改めて痛感いたしました。「やはり人というのは、自分が主役になって、自らの意志で決められる仕事に関しては、真塾かつ一生懸命取り組むものだな」と。以来、私は、商品の仕入れ、陳列、販売等の店業務に関して、すべて部下に権限委譲して任せ、残された店舗開発や財務戦略など経営の中核業務(これだけは経営者がやらなければいけないという業務)を専ら担うこととなり、今日に至っております。
 そうした分業体制により、お陰さまでその後ドン・キホーテは、怖々ゲームで売上を伸ばし、会社は一気に巨大化しました。実際、当社は初年度売上5億円足らずの中小企業から、この25年間で、年商6000億円を超す流通コングロマリットへと、まさにミラクルのような大発展を悲歌させていただいたのです。

「商売の権限委讓」から「経営の権限委譲」ヘ
 ところがそうした大企業になると、今後は逆に、権限委讓から残されはみ出た部分、すなわち前述した経営の中核的業務が大幅に増えて複雑化し、創業経営者の私に依存する比率が、かつてないくらい高まってきたというのが近年の実態です。
 「これではいけない」と危機感を強めた私は、ドン・キホーテ創業当初の頃同様、自分の権限を封印して部下に与える“第二の権限委讓”をしようと決めました。繰り返しになりますが、そうしなければドン・キホーテは新たに脱皮できず、ビジョナリーカンパニーとして未来永劫、繁栄することは難しい。そう考えたのです。
 言うまでもなく、第一の権限委譲は「商売の権限委譲」でした。そして第二の権限委讓は「経営の権限委讓」であり、私にとっては「権限委讓の総仕上げ」でもあります。もちろん、経営の権限委譲は、店舗や現場のそれとは違い、私が「勇退」することでしか成りたちません。
 だから、きっぱりと身を引くのです。寂しくないと言えば嘘になります。でもそれを敢行することが、私のドン・キホーテに対する、最後にして最大のミッションであると確信しております。ところで、今年の5月に私は満66歳になります。従って、前述した当初想定の期限からは、およそ1年あまり遅れての「勇退」宣言となりました。
 その理由は、昨年(2014年)が4月の消費税増税をはじめ、流通業にとって未曾有の大激動年だったからに他なりません。さすがにこのような非常事態における引退宣言は、下手をすれば無責任とも取られかねず、陣頭指揮を取らざるを得なかったという経緯があります。
 もっとも、結果的にそうした懸念は杷憂に終わり、蓋を開けてみれば、消費増税はある意味でわれわれのようなディスカウント小売業には追い風となり、また昨秋以降はインバウンド特需というさらなる追い風も吹いております。それもあり、当社は今、業績的にはまさに絶好調と言え、先の中間決算発表(2015年2月5日)では通期の業績予想を、かつてないくらいの大幅な上方修正をさせていただきました。もちろん、今期の26期連続増収増益記録達成もほぼ確実です。
 一方、生まれつき頑健な体に恵まれた私は、もちろん今も健康そのもので、前述のように気力、体力とも充実しており、まだまだ若い者には負ける気がいたしません。今でも休日は、南の海で、趣味のマリンレジャーなどを存分に楽しんでおります。そういう意味では元気一杯であり、自分
で言うのもなんですが、今が経営者としても最も脂の乗り切った時期かも知れません。だからこそ、勇退しようと決めたのです。それは、業績絶好調で区切りのいい今期末をおいて他にないと。
 たまたま私は、昨年の消費増税直後に発売された経済誌(週刊ダイヤモンド2014年5月31日号)のインタビユー記事の中で、3年以内に第一線から退く旨、明言しております。3年以内と言ったのは、市場等への影響を配慮して含みを持たせたわけですが、この時の私の本音は、「できれば1年以内に」であり、それが今、ここにこうして実現したわけでございます。それはともかく、寡聞にして私は、こうした状況下で、創業経営者が引退した例を知りません。
 すなわち、会社の業績は絶好調、本人の気力、活力がみなぎる中、敢えて引退(勇退)するのは、文字通りレアケースだと思います。
 もう一度言います。だから勇退するのです。もとより、他社がやらないことをやる、それがドン・キホーテのドン・キホーテたる所以であり、DNAでもあります。もちろん、私の勇退は、後を継ぐ大原が、現場から叩き上げて上り詰めた、全幅の信頼を寄せるに足る経営者ゆえ可能だったことは言を待ちません。
 ただし、創業経営者である私が、こうして元気なうちに、自ら見本となって後進に託して勇退するのだから、あとを引き継ぐ大原・次期CEOも、気力、体力が十分な早期に、次の後継指名をしてくれるでしょう。
 そしてその後継者も、さらにまた次の後継者もという具合にそれを繰り返す、「経営の権限委讓における善循環システム」を構築し、是非ともそれをドン・キホーテの伝統芸にしてもらいたい-私はそう願っています。

過去の「多事多難」から学んだこと
 思えば、本当に遠くに来たものです。今から36年前、29歳の私は、「泥棒市場」という変てこな名前の、たった18坪のディスカウントショップを創業しました。その後、問屋業に転じ、1989年にドン・キホーテ1号店を開くわけですが、あくまで始祖は「泥棒市場」です。
 それにしても、このちっぽけな零細店が、売上6000億円もの巨大企業に大化けするなど、一体、誰が想像し得たでしょうか。 「泥棒市場」を開いた当時は、全国津々浦々に様々なディスカウントショップが、今の理美容店なみに、何万店となく乱立していました。しかし今はその殆どすべてが消え去り、当社はじめごく限られた、きわめて少数の企業だけが栄えていることを思えば、まさに感慨もひとしおであります。
 もちろんドン・キホーテも、これまで決して順風満帆に駆け上がって来たわけではありません。業績的には一貫した成長路線を歩みながらも、過去をひも解けば、その歴史はそれこそ「多事多難」、色んなことが起こりました。
 企業存亡の危機のような事態に陥ったことも、一度や二度ではありません。中でも世間を騒がせた(出店に対する)住民反対運動や、店放火事件などでは、株主の皆様はじめ、関係各位に多大な心配と心労をおかけしました。この場を借り、改めて深くお詫び申し上げます。
 もっとも、そのような時でも、つまり世間やメディアに集中バッシングを浴びせかけられているような時でも、ドン・キホーテファンのお客さまからは、変わらぬ熱い支持と声援をいただきました。逆にレジの女性従業員が、お客さまに「頑張ってね」と声をかけられ、思わず涙ぐむといったような光景も、あちこちの店で見られたようです。
 いずれにせよドン・キホーテは、お客さまの温かいご支援、そして現場社員とスタッフたちのひたむきな頑張りと努力、誠実な仕事によって、度重なる危機を、見事に乗り越えることができました。再びこの場を借り、全国のお客さま、並びに当社を支えて下さった株主の皆様、そしてお取引先(パートナー)様、さらに当社従業員に、心の底から感謝の意を表したいと思います。
 一方、こうした「多事多難」から、ドン・キホーテは企業として多くのことを学びました。中でも最大の教訓が、「社会と共に唯きる企業でなければならない」ということです。 これまでのドン・キホーテは、企業原理である『顧客最優先主義』のもと、ひたすら「いい店づくり」に逼進してきました。しかしそれだけでは不十分で、さらに「いい会社づくり」が加わらなければなりません。つまり、繁盛店づくりとグッドカンパニーづくりが、名実とも車の両輪のようにして成立、機能する企業になる必要があります。
 そうした学習と教訓のもと、当社は社内のガバナンスとコンブライアンス体制を、徹底的に強化いたしました。さらに会社のクリーン度とオープン性においても、どこにもひけをとらない企業になったと自負しております。
 今では、会社にとって不都合なことまで含めて、すべて開示できるような企業に生まれ変わったことも、後述する企業理念集『源流』の浸透と並び、私が後顧の憂いなく、安心して後進に経営を託す上での大きな背景になりました。

『源流』とチーム経営
 この文書の冒頭で、私は今期末をもって、CEOの座を後進に譲ると明記いたしました。たしかに、CEOのポジションは、今後、安田から大原に移行します。
 しかし当社には、より上位の、真のCEOとも言うべきものが存在します。それが『源流』です。実際、同書刊行後は、私自身が『源流』をCEOと見立て、その条文と教えに従った経営を貫いてまいりました。
 百数十頁に及ぶ、当社初の本格的企業理念集となった『源流』の社内刊行は、2011年4月です(2013年9月改訂版刊行)。「私の脳裏に「引退」の二文字が浮かんだのは4年前』と前述しましたが、その時期とほぼ一致することにご注目下さい。私はこの『源流jの社内布教と浸透をもって、自らの引退における前提条件にしようと決めましたが、お陰さまで昨年あたりから、はっきりとその成果が確認できるようになっております。
 もちろん『源流』の中身は、すべて私の起草によるものです。私は揮身の力を込め、l司書に「商業者・安田隆夫/経営者・安田隆夫」のDNAをすべてぶち込み、網羅しました。この時点で、個人としての創業オーナー経営者・安田隆夫は消滅し、その理念と思い、ノウハウだけが純粋に『源流』に乗り移り、昇華したと思っています。すなわち「源流』の整備は、当社なりのビジョナリーカンパニー化に向けての前提条件でもあったのです。
 ともあれ、『源流』を熟読玩味して真に理解し、自分のものとして身につけ、それを業務の場で実践出来れば、誰もがドン・キホーテの経営者になれます。変な言い方ですが、それによって第二、第三の「安田隆夫」が、たくさん輩出されればいいと思っています。そうした“安田隆夫の複数形”が、それぞれの得意分野を生かしたチーム経街をしてくれれば、段強のドン・キホーテグループの構築が可能になるでしょう。CEOはそのまとめ役に徹すればいいのです。
 ちなみに、『源流』に収録されている“次世代リーダーの心得十二箇条”の第五条に、「自分の権限を自ら剥脱し、部下に与える」とあります。この条文の適用範囲に例外はありません。現CEOの私も、粛々とそれに従って勇退するということです。

【ご参考>/『源流」126頁より】
「源流」とは
ここで言う「源流」とは、文字通り「流通の源」である。われわれは、世界のどこにもない新たな流通を創造し、顧客に喜ばれ、成長し、社会に貢献してきた。本書はその根源となるものを、あますところなく著したものである。

ドン・キホーテの未来
 前述したように、ドン・キホーテ本業の業績は、きわめて順調に推移しております。また皆様もよくご存じのように、私どもの店は、世界的にも稀有なオンリーワン業態です。従って直接のライバルたる同業他社が未だ存在せず、それゆえドン・キホーテ業態には、国内に新たな出店余地がまだたくさんあります。
 ただし本業が好調でさらなる成長が見込めるうちに、次代の新薬とも言うべき、新たな業態を創造しておかなければなりません。実際、当社グループは様々なM&Aや業態開発にチャレンジしています。
 まず『ポスト・ドンキ」の筆頭株が、2007年10月に買収した長崎屋です。買収当時、本業のGMS事業は大赤字で、もはや“死に体”に等しかった同社ですが、私どもがそれを劇的に蘇生させ、今やグループ全体の収益に大いに寄与する企業体に育て上げることに成功いたしました。
 とりわけ、今後の成長のカギを握るのが、旧長崎屋GMS店を抜本的に業態転換した「MEGAドン・キホーテ」です。同業態は、(歴史的な業態寿命の終焉さえ指摘される)日本型GMS再生における、唯一の成功事例ではないかと私どもは自負しています。
 おそらく今後、流通大手各社のGMS業態等を主体に、全国的な規模でオーバースペースの解消が急速に進むものと見られます。少なくとも私どもグループの中には、前出の「MEGAドン・キホーテ」などにより、そうした余剰施設(スペース)を十分利用、活用できる受けⅢ(ソリューションスキーム)が、ソフト・ハード両面で既に確立されております。
 一方、長崎屋買収の前、2007年1月に入手したHCのドイトも、当時はまさに倒産寸前とも言えるボロボロの状態でした。そんなドイトは、今では独自のHC新業態「タウンドイト」を相次ぎ新規出店するなど元気一杯で、長崎屋同様、利益面でも確実にグループに貢献する高収益企業に生まれ変りつつあります。
 新しいところでは、ドンキ流都市型ビッグコンビニ業態の「驚安堂」が挙げられます。昨年度から本格的な多店舗展開を開始し、現在、東京都内を中心に5店舗で営業しており、業態・MDにおける実験と試行錯誤を日夜繰り返しております。さらに最新の事例として、今年1月22日、米国・ロスアンゼルスにて“オリエンタル・モバイル・フーズ”という、全く新しいコンセプトによる食品業態「東京セントラル」を開業いたしました。
 同店は、一昨年(2013年)に買収した日系スーパー「マルカイ」のコスタメサ店を全面リニューアルしたもので、地元メディア等にも取り上げられて彼の地でも大いに話題となり、早くも人気店としてよく繁盛しています。今後、マルカイ既存店(カリフォルニアとハワイに計ll店舗)を逐次リニューアルして同業態による活性化を図ると同時に、全米の主要モールに、この「東京セントラル」を新規出店する構想も描いております。
 このように当社グループには、今後の開花が楽しみな新業態や新事業が目白押しのように控えており、私が去る後も、ドン・キホーテグループの未来には前途洋々たるものがあります。そして、そんな輝かしい未来を実現させるのは、創業経営者の私ではなく、私の後進の者たちと現場社員の力の結集でなくてはなりません。そこにこそ、私が勇退する最大の意義と価値があるのです。
 とは言え、私も根っからの“仕事大好き人間”です。あまり自慢できることではないでしょうが、何が一番の趣味かと問われれば、やはり「仕事」と答えざるを得ず、少なくとも仕事が苦になったことは、これまでただの一度もありません。
だからこそ、こうして会社を発展させることが出来たのでしょうし、また、だからこそ今の仕事にしがみついていてはいけないと思うのです。
 従って今後、私はドン・キホーテをはじめ国内のグループ事業に関して、よほどのことがない限り、口も手もいっさい出すつもりはありません。その代わり、当社グループとしてはまだ殆ど手つかずで、インフラとレールを敷く段階にある 海外事業に専念するつもりです。少々、大上段な表現をお許し願えば、「今後は地球の視点からドン・キホーテを見守り、全力でそのバックアップを行っていきたい」と考えています。
 そうしたことを前提に、来期以降、ドン・キホーテグループ内において私は、いわゆる名誉職的な『創業会長兼最高顧問』という肩書を使わせてもらうことになるでしょう。
 私的な思いも混ざった長文に、最後までお付き合いいただき、心から深謝いたします。それ以前に、皆様にはこれまで、公私とも格別のご懇情を賜り、改めて厚く御礼申しあげます。私なきあとのドン・キホーテグループに対しても、何卒、今後とも一層のご支援、ご鞭燵を賜りますようお願いいたしまして、略儀ながら当文耆にて「勇退のご挨拶」とさせていただきます。有難うございました。