《 解決すべき点は二点だけ 》
 メディアで電力問題に対する解決策は百家争鳴だ。右だ左だ上だ下だ、さらには奥だ手前だと、なんとも不可解きわまりない。もっとシンプルに電力問題をどう解決するかまとめておきたい。

 解決しなければならないのは、以下のたった二点である。
(1)放射能汚染を食い止めて国土と国民の健康と生活を守らねばならない
(2)経済活動に不可欠な電力をどう確保するかを決めなければならない

 (1)は緊急課題である。このままでは日本国内はおろか、世界の環境まで汚染してしまう。これは他国に迷惑をかけないという国際関係の原理原則を犯してしまうリスクがある。放置すれば、日本の信用自体を失う。

 (2)は長期的・中期的・短期的にどうするかを決めねばならない。長期的なエネルギー政策を早急に策定し、一方で短期的な危機回避プランが必要。

《 電力料金引上と国家救済 》
 (1)をするにはとにかく資金がいる。汚染水の除去装置を導入するにも、正確な汚染状態を把握するにも、汚染土壌を入れ替えるにも、メルトダウンした原子炉を冷却するにもカネがいる。

 となれば、一部で言われていた「銀行からの借り入れ棒引き」はあり得ない。東京電力の株価が大きく下落して、資本で資金調達が出来ない状況下、借金踏み倒しすれば追加融資には応じないだろう。よって、枝野官房長官の「銀行は債権放棄をすべき」発言はトンデモナイ発言。そんなことを許したら、預金保護ができなくなり、取り付け騒ぎで金融恐慌になる。

 銀行が貸し出しを続けられる状態とは、企業が存続して、その企業が収益を回復して金利と元本を返せる状況になることである。となれば、法的・私的整理はもちろん、発電・送電設備の売却も現実的な選択肢ではない。

 そもそも、原子力発電ができないならば、CO2を排出する火力発電設備を買う新規参入業者はいない。買ったはいいが、「国際会議でCo2削減を日本は約束したのだから、止めるべきだ」と言われたら、止めざるを得ないだろう。そんな投資回収できないものを買うお人好しはいない。

 よって、結論は簡単。a)徹底した東京電力のコスト見直し、b)電力料金引き上げ、c)国家救済の三点しか方法はない。

 b)、c)には異論があるだろう。例え地震と津波の発生には東京電力に過失がなくても、事業者としての責任は問われるべきだと。確かに民法709条の損害賠償では「無過失責任による賠償」が定められている。過失がなくても、発生した損害に対する賠償は必要なのだ。

 しかし、原子力発電には「無過失責任賠償」の上限が法律で決まっている。1事業所あたり1,200億円のである。福島第一と第二で2,400億円。そして、それで補えない部分は国家が国会の決定を経て賠償を行うことになっている。もちろん、国家がお金を持っているわけではないので、これは国債や税金でまかなわれることになる。

 確かに東京電力の記者会見や対応や諸々を見ると、「なんとも緊急時にのんびりした組織である事よ」と想うのは人情だろう。しかし、東京電力の「無過失責任賠償」の範囲が決まっている(=有限無過失責任)ことは法律で決められている。それは認識せねばならない。「そんなことは俺は聞いていない」と言っても、法治国家では通らないのである。国民には立法機関である国会の意志決定者を選ぶ権利を与えられているのだし、法律案は常に開示されているし、国会を監視する機能もあるのだから。

《 エネルギー政策を決めよ 》
 (2)は早急に決めなければならない。火力発電はCo2 25%削減という日本が対外的にした約束を反故にすることになる。水力発電はすぐには作れない。となれば、原子力発電を再稼働するか、新しい再生利用エネルギーに軸足を移すかない。

 原子力発電再稼働するならば、古い軽水炉を最新式の炉に代えるか地震&津波対策をさらに強化しないと今回のような事故のリスクに対処できない。ここでも資金が必要になる。再生利用可能エネルギーに軸足を移すならば、そのためのプランを立てて、国会を通さねばならない。当然資金面での議論になるだろう。

 つまり(1)にせよ、(2)にせよ、「お金をどうするの」という議論を避けては通れないのである。にも関わらず、「電力料金引き上げは許さない」「税金を上げてはならない」というのは筋が通らない。国民はだれもが、電力を使うという利益を受けている「受益者」であり、受益者が負担をするのは「受益者負担の原則」から当然である。

 よって、今、政治が何をすべきかと言えば、a)東京電力の可能な限りのコスト見直しは何億円可能か、b)放射能汚染抑止と新ネルギー政策を織り込んだ電力料金はいくらになるのか、c)そのための税金負担はいくら必要か、を早急に計算して国民に提示することである。プランとそれに伴う必要コストの見通しが数字で出てこなければ、感情論で話をするしかない。しかし、感情論はあくまでも感情論であり、根本解決にはならない。

 一番怖いのは時間を浪費することで、電力のクオリティが落ちることにより産業が立ち行かなくなり、そのために雇用も悪化し、さらには放射能で直接的な国民の生活が脅かされることである。震災発生後の東京電力の初期動作や運用の質の低さは今後、調査を進めるべきではあるが、まずは日本経済と国民の生活が破綻することを止めねばならない。

《 ルール(法律)によった議論の必要性 》
 その意味では、私は今後の社会問題に対する対応策としての消費税引き上げには賛成である。英国並みに20%まで上げることもやむなしと考える。公共経済学の観点からは、所得税・法人税を上げることで勤労意欲・日本で事業をすることに対するモチベーションを割くよりも、「使わねば支払わなくて済む」という選択可能な税制へのシフトの方が正しい。ただ、「買わないわけにはいかない」食料品や医療・医薬関連品は別であるから、これは別途税率を定めれば良い。

 今回の事故が大きな被害を国土と国民に与え、それに伴って感情的に割り切れない思いがある人が多いことはよくわかる。しかし、その一方で日本は法律に基づいて行動をする近代法治国家であり、その法律を決めるのが国民の選挙によって選ばれた人々で運用される国会である。もし今回の事故が日本の未来に寄与するところがあったとしたら、このシンプルな仕組みが認知されることである。

 そして法律において震災以降の対応で間違った部分があるならば、刑事的・民事的に裁かれることで責任を取るべき人は取るべきである。しかし、センセーショナルに感情をマスメディアが煽るだけでは何の解決にもならない。むしろ日中の節電が必要ならば、テレビ局はニュースやハードディスク録画機器を使えない高齢者が見る番組だけを日中に放映して後は放送停止、それ以外のアイドル番組だのバラエティ番組だのは夜間に放送すればよい。

 ちなみに2011年1月1日に発表された原子力発電所の今後30年の地震発生確率は、ご存じ静岡県浜岡は89%である。では、福島はどうだったか?。実は第一が0.0%、第二は0.2%だった。つまり、地震大国日本にある限りどの原子力発電所も地震被害は受ける可能性がある。だとすれば、責任の押し付け合いに時間を浪費するよりは、今後の施策に時間とお金をかける方がはるかに有益ではないかと想うのだが。

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