《 わたしの失敗 》
 「正直」であることは小さいときから人として重要な資質です。これは洋の東西を問わないようで、桜の木を切ってしまったワシントンの幼い頃の話が、修身の教科書にも載っていたのはその証左でしょう。そして企業経営におけるコンプライアンスや内部統制も、社員・従業員に「正直」であることを求めています。何かが起こっても隠し立てせずに、「報告・連絡・相談」(「ほうれんそう」)を守ることは、すでに行動規範の基本中の基本です。

 しかし、実際にこの複雑な社会で生きている身にとっては、「正直」であることは難しいというのが本音。やっぱり都合の悪いことを正直に言うことは勇気がいります。

 実は先週、勤務先でちょっとしたミスをしてしまいました。それ自体はリカバリーショットの余地がある、比較的軽微なものではあったのですが、間の悪いことに週初めの部門の全体会議で上司から「最近こういうミスが増えているので、注意するように」と指示があったばかりだったのです。日頃は他人様にああだ、こうだと正論をぶっている自分ですが、このタイミングの悪さを考えるとミスに気づいた瞬間、血の気が引きました。「まずい…..怒られる…..」と。

 こうなってくると人間というのは自分勝手なもので、なんとか怒らないで済まされる方法はないかと画策しちゃいます。ミスに気づいて、血の気が引いてからの10秒間、「どう誤魔化すか」と悪い考えが頭の中を駆け巡ったことをここで告白します。しかし、どれもこれも後で必ずばれることは明らか。整合性の合わないことはきっちり調べれば絶対にわかってしまいます。

 仕方ない、私は腹をくくりました。もう深夜の時間帯でしたが、上司に大目玉をくらうことを覚悟で電話をかけ、状況説明とどうしたら良いのかの指示をあおぎました。ここで怒られずに誉められたならば、ワシントンの逸話通りなのですが、残念ながら現実はそう甘くはない。しっかり怒られました。そして、部門長と管理責任者にすぐに連絡すること、さらには顧客や社内の関係者にどのように対応するのがベストであるかを担当者としてまとめておくようにと厳命されました。

 しっかり怒られましたが、それでも私の気分は晴れやかでした。というのも、隠し立てせずに可能な限り迅速にミスを連絡したことで、後は「お沙汰」を待つだけという気持ちになれたからです。報告をきちんとしてしまえば、後は上の人間に下駄を預けるしかなくなる。その意味では非常に平和な気持ちでいられるものです。

 結果的には、最初の報告をしたのが金曜日の深夜で、土日の二日間で部門長を含む社内の対応ができました。そのおかげで部門長向けに報告書に提出し、部門としての再発を防ぐことで一件落着になりました。処罰もありませんでしたし、部門長からは「佐々木、頼むぞー」と苦笑されただけで済みました。しかし、もしもあのとき、「誤魔化してしまえ」を実践していたら、こんな平和的な着地にはならなかったでしょう。いや、わずかレベル1くらいの問題がレベル50、100、200の大問題になっていた可能性もあります。

 振り返ってみて、なぜ隠さずに報告しようと思ったかと考えました。一番大きかったのは、研修などでコンプライアンス啓蒙が徹底的に行われていたことです。しかし、それと同じくらいの理由として、「あの上司であれば的確な指示をしてもらえる(=助けてくれる)」という信頼感があったことも挙げられます。「正直」であるためには、それを受け入れる「土壌」がきちんとできていなければならないだなと痛感しました。それは幸運であったと言えるでしょう。

《 企業組織で正直を貫く価値 》
 私の失敗から日をおかずに、「正直」であることが企業価値を上げるという事例を今度はほかの企業の例で拝見することとなりました。

 ある食品スーパーのことです。販売している青果物に、農薬が付着していることが見つかったのです。その地区で働いている私の同僚から、「地元紙は一面で取り上げているし、大変なことになりそうだ」と連絡がありました。食の安全性に関する消費者意識はきわめて高くなっていますし、下手をすると企業の地域における信頼が大きく失墜する可能性もあります。私としてはかなりの心配をいたしました。

 ところが、「一面で取り上げられた」割りにはきわめて地域の顧客は好意的であり、平静であることらしいということが時間が経つにつれてわかってきました。ちょっと意外です。今のヒステリックに他者を「叩く」風潮からいけば、魔女狩りの生け贄のように批判にさらされてもおかしくない。にも関わらず、事態はどんどん沈静化している。不思議に思っていたのですが、どうやら、それはこの食品スーパーの「正直」さの徹底によってもたらされたものであるらしいことが判明しました。

 まず一つ目の「正直」は異常への気づきです。農薬らしきものが付着しているのを見つけたのは顧客ではなく、青果担当のパートタイマーだったそうです。その問題の青果物を陳列していると、どうもなにやら変なものがついている。最初は土かと思ったのだけど、彼女自身が家庭菜園をやっていたので、その変なものが農薬かもしれないと正社員に相談したのがきっかけだったそうです。パートタイマーという立場から考えれば、それを報告してもしなくても時給には関係ないことです。しかし、彼女が正社員に確認するというアクションを起こした背景には「ここは私が任されている職場だ」というプロ意識を持たせる何かがその企業にあったということでしょう。

 二つ目の「正直」は、報告をうけた店舗の正社員が即座に本社の当該部署に連絡し、さらに当該部署が経営陣への相談を躊躇しなかったことです。実はこの店だけではなく、もう一店舗からも「おかしいのではないか?」という問い合わせが、やはり現場のパートタイマーから来ていたそうです。一日で二件の似たような報告。それで当該部署は経営陣への相談を迅速に行うことができたのだとのこと。しかし、私自身の小さなミスのことを思い出せば、決してそれは「楽しい」相談ではなかったはず。仕入部門長や青果部門長にとっては、責任者として何らかの処罰が下される可能性もあったはずです。非関係者である私が考えるよりもずっとずっと勇気がいる決断だったでしょう。

 そして三つ目の「正直」は、これを受けてわずか数時間で経営陣が情報開示を決定したことです。聞けば、夕方には役員会議が開かれ、19時には情報開示をすることを決め、21時には記者会見を開くことを決めたとのこと。しかも、21時という時間を設定したのは、地元有力紙の朝刊締め切りが23時だったから、だそうです。しかもそれは有力紙からの非難を恐れてと言うよりは、まだ気づいていない消費者に一刻も早く知らせるためで、新聞だけではなく、テレビやラジオといった有力メディアにも集まってもらって報道をお願いしたとのことです。加えて、翌日の朝の8時には全ての店舗責任者を出社させ、顧客からの対応に備えたとのこと。

 結果的にはその農薬は食べてしまっても人体への被害はないものだったのですが、「青果物への農薬の付着」という対応次第では顧客離れを起こしかねない問題を隠蔽するどころか、「正直」に情報開示したことが結果的には顧客の信頼を増した。それが私の心配にもかかわらず、顧客の平静さが保たれていた理由のようです。まさに企業のリスク管理の鑑のような話です。

《 正直であることが企業価値を上げる 》
 話は変わりますが、「正直」に関してはこんなお話を別の企業からお聞きしました。

 株式公開企業は投資家やアナリストにいろいろな情報開示をします。特に決算説明会と投資家やアナリストの個別取材への対応は株価を維持する上でも、自社への高い評価を維持する上でも重要な業務です。しかし、この業務自体は決して楽しい仕事とは言えません。私もレポートを書くアナリストでしたからよくわかるのですが、アナリストや投資家はまず「ネガティブな話」を聞くのが習い性です。これは性格が悪いというよりは、「投資不適格」になるようなことがないことを確認するのがもっとも重要だからです。

 とはいえ、企業側の対応者も人の子。やはり自社の良いところ、自慢できるところを聞いてほしいものです。加えて、アナリストや投資家が聞きたがる「ネガティブな部分」については企業側もどうやって解決しようとしているか毎日悩んでいます。そこに指を突っ込んでほじくるようなことは聞いてほしくないというのが人情です。

 ある日、ユニークな投資手法で有名な機関投資家が取材でその会社に伺ったそうです。で、普通の取材であれば「足下の業績は?」「先月の売上げは?」「粗利益率は?」といった短期的な収益のことを尋ねられる者なのですが、その機関投資家が発した一言目は「取材をうけて、一番答えるのが嫌な質問はなんですか?」。

 どうもこれ自体が一番嫌な質問である気がしますが、IR担当の方は一生懸命考えて、お答えになったそうです。たとえばトップの後継のこと、競合相手に比べて弱いと言われている店舗クオリティの均質性のこと、などなど。で、機関投資家は続けて二問目の質問、「取材をうけて、一番答えるのが楽しい質問はなんですか?」。これはもう答え易い。アピールをしたい部分をたっくさん挙げたそうです。

 それ以降はほかの投資家と同じく商品の差別化の話や、今後の成長戦略の話となったそうで、なんやかやと二時間。話も出尽くしたので、そのIR担当の方は聞いてみたそうです。「なぜ、一問目と二問目はあのような質問をしたのですか?」、と。そうすると、この投資家、ニヤリと笑って、こう言ったそうです。

 「機関投資家は人のお金を預かって運用しているので、きちんとした企業に投資することが再前提。きちんとした企業というのは必ず『正直』である。だからこの会社は正直な会社か、そしてIR担当は正直な人かを試したのだ。」

 そう、この投資家は既にこの企業の直面する問題点を予習してきていたのですね。で、それをきちんと認識し、正直に答えるかどうかで企業の質を試そうとしていたわけです。もちろん、その機関投資家はこの企業の株式を保有したようです。

《 正直に加えて謙虚であること 》
 私の失敗談、ある食品スーパーの対応、そしてこの機関投資家の話題は非常に重要なインプリケーションを与えてくれます。要は「正直であることは最終的には勝者のためになるための近道である」と。

 もちろん、「嘘も方便、ところによって嫌わず」という格言もあります。しかし、そういう場合は「正直」の「馬鹿」をつけて、「馬鹿正直」と、普通の「正直」とは区別するのが一般的です。「本音と建て前」のように、「正直」にも二種類あるところが、この国の文化のおもしろいところです。

 ちなみに先ほどの機関投資家、最後の最後に「いたちっ屁」のようにこういうことを言い残したそうです。「一問目の質問に対して後継社長候補の話があったが、後継者候補がいるのは大変結構なことである。しかし、その候補の人たちが謙虚か否かがもっとも重要なことだと思っています。」

 「その投資家の方が謙虚じゃない」という意見もあるかもしれませんが(爆笑)、これまた考えさせられる発言だと思います。少なくとも「謙虚」からほど遠い生活態度にある(その割には気が小さいのですが)佐々木としてはちょろっと考え込んでしまいました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です