《 高知に行ってきました 》
 高知はさすが「龍馬伝」が人気なだけあって、いつもの夏よりも遙かに多くの観光客が詰めかけているそうです。なんでもNHKと地元が協力してやっている「龍馬伝」のテーマ館には予定よりも150日も早く40万人目の入館者がいらしたと初日の宿で見たテレビで報じてました。

 我々はまず中岡慎太郎のふるさとである室戸岬の手前にある北川村に行ったのですが、なるほどやはり実際に足を運んでみるものですね。中岡と坂本の志の違いというか考え方の違いを初めて知りました。坂本はまさしく政治的には理想家であり、興味は新しいものを見たいというところにあったようです。一方、中岡は政治的には理想を持った現実路線であり、興味も日本の政治と近代化を如何に進めるかというストレートな部分にあったようです。ドラマでは略されがちなこの違いの面白さについつい中岡慎太郎記念館では1時間以上、見学時間をオーバーしてしまいました。

 ちなみに馬路村だけではなく、北川村もゆずの名産地で、これはもともと中岡慎太郎が現金収入を得るために地元農民に工芸作物として栽培を積極的に推薦したものだそうです(中岡は庄屋の息子)。ということは、人気フォークグループの「ゆず」のリーダーが北川さんということと何か関係しているのでしょうかね?。

 次に訪れたのが高知寄りに戻って、岩崎弥太郎のふるさと安芸。もちろん、岩崎弥太郎は今となっては地元の名士でありますが、驚いたのは五藤氏がここを治めていたこと。五藤といえば、主君の山内一豊が戦の場所で頬を射貫かれた時に、主君の顔を分でそのヤジリを抜いた逸話でも、また父のように一豊を慕いながら途中で戦死した時に一豊が「私が一国一城の主となったら、五藤家は家老に取り立てて、末代まで面倒を見る」と約束したというエピソードでも有名です。私が一番好きな司馬遼太郎作品は「功名が辻」なのですが、その中で、最も一豊の将来を信じていた五藤吉兵衛が実は安芸を治めていたとは面白きものです。そしてその山内家が土佐一国を与えられて、上士と下士の身分制度を作ったことが維新のひとつのきっかけになり、また一豊の子孫の山内容堂が大政奉還に関わったというのもまた面白い偶然。

 さらには歯に衣着せぬ評論で有名な「萬朝報」を出版した黒岩涙香もここの出身。ただ、岩崎は同郷の黒岩の無心の願いをけんもほろろに断ったようで、後々まで黒岩と岩崎は仲が悪かったようです。もしかしたら、「龍馬伝」は岩崎に地方新聞の記者が取材に来るところから始まりますが、実は彼が黒岩の門下であったなんていうオチがこれから出てくるかも知れません。

 ここでなんと初日は時間切れ。どうも我が夫婦は資料モノの展示があると最後まで読み切らないと気が済まないタチで、観光の効率が悪くて仕方ありません。

 それにしてもおどろいたのは、安芸市から高知市内の宿までの道々にも、多くの偉人達の名所旧跡があること。迂闊な話ですが、自由民権運動の板垣退助も高知の出身であることを今更思い出しました。そして、自由民権運動と大政奉還、西南戦争、薩摩藩、長州藩、土佐藩の関係というものが非常に複雑に絡み合っていたことを知り、なるほどテレビだけでは語れない色々なことが今の日本を形成しているのだと痛感いたしました。

《 NHKに視聴料を払っても惜しくありません 》
 さて、高知から帰ってきて楽しみにしていたのは終戦記念日前後の戦争に関するテレビ番組。特にNHKのものは見応えがあります。色々と問題も起こしているNHKですが、終戦記念日前後の数週間のドキュメンタリーや各種の番組を見るだけで、まぁ一年くらいの視聴料は安いモノだと思わせるクオリティです(逆にいえば、民放の最近の番組のひどさよ)。

 NHKスペシャルはどれも一品でしたが、予想外に面白かったのが「日本のこれから、どうなる日韓関係」でした。これは若者を日韓の若者を呼んで、本音でトークするものでしたが、中でも韓国朝鮮語のNHK教育講座もなさったことのある、日韓文化論に詳しい小倉紀蔵先生と映画監督の崔洋一さんの発言は素晴らしかったです。

 ある日本人の男性が「欧米列強が植民地を多く持つ中で日本を兵糧攻めにしようとしたのがそもそもの太平洋戦争の発端だし、日本が韓国と戦争をしたわけじゃない」と言ったことが崔さんの逆鱗に触れ、「他の列強が植民地支配をしていようがいまいが、日本が韓国朝鮮を植民地支配し、しかも名前も使用言語も日本のものに変えさせて文化を奪おうとしたことは間違いない罪悪である。君なんかに歴史を語る資格はない!」と激昂されました。

 これに対して小倉先生は極めて冷静な口調で、「私も崔さんと同じく、あなたは歴史をしらなさすぎるのでもっと学ぶべきだと思う。でも、一方で誰に歴史を語る資格があって、誰にないかということはない。誰が歴史を語ってもよいし、語るべきなのだ。それぞれの歴史観があり、それをぶつける中で過去と真実をつかむことが重要なのだ。」とおっしゃいました。

 私は崔監督も小倉先生も両方正しいのだと思います。小倉さんはこの発言の前にもこうおっしゃいました。「やられた人間は、少なくともやった人間よりもやられたことを覚えている。実際、日本人はやってしまった側にいるんだということを覚えていなくてはならない。戦争では誰もが加害者で被害者であるが、それを言い訳にしてはいけない。」

 やはりNHKには視聴料を支払うべきでしょう(笑)。

《 「美味しんぼ」は歴史書でした 》
 とはいえ、一日中我が家の安物ソファでテレビを見ているとケツも痛くなってきますので、もう一つの楽しみであるゴロ寝をしながらの古本漫画の一気読みもやっております(こちらは現在進行形)。ここ二ヶ月ほど読んでいるのは、「美味しんぼ」。言うまでもなく有名なグルメ漫画です。人によっては、あまり良い感情でこの漫画のことをイメージしていない方もいらっしゃるでしょう。悪しき社主独裁政治の温床のような総合新聞社を舞台に、到底庶民の手には入らない食材やらを持ち出しては現代の食生活をけなす漫画、そんな感じをお持ちではないでしょうか。実は私もそうでした。

 ところが今、86巻まで読んでいるのですが、実はそのイメージというのは違うのですね。この漫画1985年から連載が始まっています。バブルに向かって走り始めた頃です。その頃に既に水の危険性(一方できちんと東京都のハイレベル水処理のことも触れています)やグルメブームの品の悪さ、食育の重要性、ワインブームの馬鹿らしさなどに触れています。その一個一個のエピソードは結構納得させられるものがあります。

 まぁ、スコッチウイスキー好きのわたしにとって、「日本の大手ウイスキーメーカーがボウモアなどのスコットランドの蒸留所に出資したから本物じゃなくなった」というくだりだけはちと金融に無知過ぎるなあとは思いましたがねそれはご愛敬でありましょう。104巻も出していれば取材不足とか思い込みで間違ったことも書いてしまうのでしょう。

 閑話休題。

 美味しんぼを一気読みする価値は、1985年以降の日本とか日本人の馬鹿馬鹿しい側面を記録してあることです。その意味でこれは非常に貴重な歴史資料だと思うのです。そして、一部のメディアや一部の人々が馬鹿にする、昨今の中国の方々の日本での旺盛な買い物意欲や振る舞いは、なんのことはないバブル時代の日本人と同じですし、1970年代に筒井康隆さんが「農協月へ行く」で痛烈な風刺をした「田舎モノの日本人」そのものだということにも気づきます。それだけでも美味しんぼは読む価値があります(おっと、小学館の回し者ではありませんよ)。

《 未来は僕らの手の中 》
 さて、高知旅行、NHKのテレビ、美味しんぼ。私の夏休みはこれで終わりそうですが、共通しているのは「歴史」なんだと痛感します。過去を知ること、経緯を知ること、来し道を見つめることは、今後の未来を考えることに繋がるのではないかと思います。

 夏休み中、私の流通業の先生がこんなメールをくださいました。「黒船来港からわずか14年で日本は明治を迎えた。維新の志士の活躍ばかり取り上げられるが、その間の政府、つまり幕府の対応も凄いとしか言いようがない。14年間で徳川幕府は価値観をすべてひっくり返すことに最終的には協力したのだ。一方で山一證券や北海道拓殖銀行が破綻をし、極めて不安定な世の中になったのが1997年。つまり黒船来港から明治までの期間と同じだけの時間が経った。佐々木が言うように時間の進み方はどんどん早くなっているのに、なぜ日本政府は何も変えられないのでいるののか。それを考えると暗澹たる気持ちになる。」と。

 私にはこの先生への返答をするだけの能力も知識もありません。ただ、ブルーハーツの歌ではないですが「未来はぼくらの手の中」であります。政治のレベルは国民のレベル。とすれば、国民のレベルを上げないことには何も始まらないでしょう。良いか悪いかは別にして、韓国では明治の富国強兵の時代並みに挙国一致で自国の価値を上げようとしている。にも関わらず、日本のニュースショーを見ると政治家と芸能人のスキャンダルと三面記事を何度も何度も焼き直して流すだけ。もしかしたら、こやつらはどこぞの国の諜報員で、日本人を白痴化しようとしているのではないかとさえ思います。やはり、情報断食ですかね。

 今、少しずつ読み進めているのが、また別の先生から頂戴した「セゾンの挫折と再生」という御本です。日本の流通・外食・消費の将来を考えるうえで、呉服系老舗百貨店と東急グループ、そしてセゾングループ、ダイエーグループ、すかいらーく、ロイヤルホールディングスの歴史を知らないではいられません。例え、今後アジア展開をするにしても、日本は生きていくための「消費」を安さという方向と文化という方向に向かわせていったという歴史が生きる可能性は高いと思います。それはアジアの消費の価値観は価格で有ると同時に、品揃えであり、文化であるからです。そしてそれを実際に経験したのはアジア地域では日本がトップランナーだということです。それが今、漫画アニメ文化になり、「カワイイ」文化となり、世界で花開いているのでしょう。

 今後の日本を考えれば暗澹とするものの、一方で我々の考え次第でもどうにでも方向性は変わりうるという、少なくともそれが建前の国なのだということを感謝しようではありません。

 おぉ、今、これを書きながら流れている曲はこんな懐かしい曲です。ちょっと歌詞を書き出してみたくなりましたので、歌詞を書いて今週はおしまいであります。

 遠い世界に 旅に出ようか
 それとも赤い風船に乗って
 雲の上を 歩いてみようか
 太陽の光で 虹を作った
 お空の風を もらって帰って
 暗い霧を 吹き飛ばしたい

 僕等の住んでる この街にも
 明るい太陽 顔を見せても
 心の中は いつも悲しい
 力を合わせて 生きることさえ
 今ではみんな 忘れてしまった
 だけど僕達 若者が居る

 雲に隠れた 小さな星は
 これが日本だ 私の国だ
 若い力を 身体で感じて
 みんなで歩こう 長い道だが
 一つの道を 力の限り
 明日の世界を 探しに行こう

(「遠い世界に」五つの赤い風船)

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