来年はゴジラシリーズの第1作からちょうど70年。今年の11月にはには久しぶりの新作「ゴジラ-1.0」も公開予定となっています。ほぼゴジラと共に人生を歩んできた私として、70年のゴジラの歴史をここにまとめてみました。今回は3つのシリーズの最後となる「ミレニアムゴジラシリーズ」を語りたいと思います。

シリーズの概要

東宝におけるゴジラシリーズとは大きく分けると

➀1954年の初代「ゴジラ」より1975年、15作目「メカゴジラの逆襲」に至る昭和ゴジラシリーズ。

②1984年の16作目新「ゴジラ」から1995年の22作目「ゴジラ対デストロイア」に至る平成ゴジラシリーズ。

③1999年の第23作目「ゴジラ2000ミレニアム」から2004年の第28作目の「ゴジラ FINAL WARS」に至るミレニアムゴジラシリーズの3部に分かれ、その後2016年の「シン・ゴジラ」。2023年11月公開予定の「ゴジラ-1.0」へと続く映画シリーズである。

ウイキペディア「ゴジラシリーズ」へのリンク)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%A9%E6%98%A0%E7%94%BB%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

  1. ミレニアムシリーズ

「ゴジラ2000ミレニアム(1999年)」

前VS平成ゴジラシリーズは20億程度の安定した興行成績を残したこともあって、新シリーズ開始の機運は高まった。さらに1998年にはハリウッド版『GODZILLA』が作成されたが、これが日本のゴジラのイメージとは大幅に異なるもので、特に日本のゴジラファンが全く納得できなかったのは、ラストシーンでゴジラがアメリカの戦闘機F18 が発射するミサイル「ごとき」に倒されてしまったことだった。

このような状況に着目した東宝はアメリカ版との違いをアピールするために早く日本の「本来の」ゴジラを作るべきだと思い、当時のゴジラシリーズとしては最高となる12億円の製作費が投入され本作品の制作が決定した。

監督についても前シリーズから引き続き大森一樹とタッグを組んだ大河原孝夫が起用された。

道具立てもなかなか凝ったもので、濃霧に覆われた根室市に現れるゴジラ。その襲来を予測するために民間で結成されたゴジラ知ネットワーク。そして政府から派遣されたゴジラ殲滅作戦を指揮する内閣官房長の若きエリート官僚。そしてゴジラから採集された完全な生命体オルガナイザーG1をわがものにしようとする謎のUFOに乗ったエイリアン。

このように道具立てを揃えストーリーを練り満を持して作られたゴジラではあったが結論から言うと面白くなかった(個人的感想です)。

この映画の見どころは冒頭の根室へのゴジラの上陸シーンぐらいで、今一つ何がテーマなのかわからず、登場人物の動きもばらばらでメンバーがたまに「ゴジラは人間の作り出すエネルギーを憎んでいるのではないか」とか呟いてみても何かずっと上滑りしているような映画でした。また紅一点の女性記者に扮した西田尚美(当時25歳)は今でこそバイプレーヤとしてドラマに引っ張りだこであるがこの作品では全く魅力を出せず、ただただ無鉄砲でわがままなトラブルメーカーの印象しかなかった。

そしてこの作品の最大の課題は出現のシーンでこの映画の世界観としてのゴジラの氏素性が明らかにされず、ラストシーンでゴジラがいなくならなかったかった事であろう。普通ゴジラは初回を除き、現れたゴジラが「前回からの続きのゴジラ」「最初のゴジラと同体、ないしは仲間」「初めて出てきた」などの出目を冒頭で明らかにしておりそれに対して登場人物たちはそれ相応に反応し観客も感情移入していくわけである。しかし本作品のゴジラは突然、根室に現れ、登場人物もそれに対して驚くわけではなくそもそもゴジラ予知ネットワークなどと言う組織があるからにはこの作品世界では何度かゴジラが出現しているはずなのだが一切説明が無い。これは観客にしてみれば親戚の法事に行って知らない人がいるのに誰も説明してくれないような感じで始終居心地の悪い思いをしたと思う。またラストシーンでゴジラは「死ぬ(死んだように見える)」か「海に帰っていく」とか、ともかく現場からいなくなるのが鉄則である。これは次のゴジラへの気配りで、次のゴジラの監督はいったん視界からゴジラが消えているからこそ次のゴジラの設定が出来るのである。それなのに本作品のゴジラはエンドマークが出ても新宿をわがもの顔で火を吹いて暴れまわる。このラストシーンはこの映画のとりとめの無さの象徴のような気がした。

結果ミレニアムシリーズの続編はこの映画のゴジラを「無かった事」にした。次の「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」は1954年のファーストゴジラからの続きとし、ゴジラに痛めつけられた東京から大阪に移転していると言う関西人好みの世界観になっている。その後またもやの3怪獣のそろい踏みによる「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」が公開され(この作品ではなんと元ダウンタウンブギウギバンドの宇崎竜童が自衛隊の将官に扮している。いくら横浜が舞台とは言えヨーコもびっくりである(笑))いよいよ、ゴジラ映画の申し子とも言える手塚昌明監督によるメカゴジラ二部作が公開されるのである。

「ゴジラ×メカゴジラ(2002年)」

予め言っておくが私は数あるゴジラシリーズで本作品が一番好きである。

本作品を監督した手塚昌明監督は幼少期に「ゴジラ対キングコング」を見て衝撃を受けその後ゴジラを撮るために監督になったとも言える人で随所にゴジラ愛にあふれているのが本作品である。

今回のゴジラは1954年の初代ゴジラから45年ぶりに現れた2体目のゴジラと言う事になっている。日本政府は対特殊生物自衛隊「特生自衛隊」作り、その後何頭か現れたザコ怪獣を退治しながらゴジラの出現に備えてきたが再び現れたゴジラには全く歯が立たない。そして主人公である自衛官家城茜の目の前でゴジラは上司を踏みつぶして悠々と海に去ってしまう。その後日本政府は館山沖から引き揚げた初代ゴジラの骨格をもとに4年の歳月を経て「三式機龍(メカゴジラ)」を完成させる。茜は上司の仇を撃つべくメカゴジラのパイロットに任命される。メカゴジラの起動テスト当日、メカゴジラに呼び寄せられたかのようにゴジラが再び現れる。決戦の時が来た・・・。

てな感じだが、まず主人公の釈由美子が良かった。どちらかと言うと彼女はモデル出身の不思議ちゃんのイメージであったのだが本作品では過去のあるクールビューティーを立派に演じた。戦闘服姿もスタイルの良い彼女に良く似合った。この辺りは既に大人気であったアニメ新世紀エヴァンゲリオンのヒロイン達に対抗する意味合いもあったのだろう。手塚監督は「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」も含めてゴジラ映画を3作撮ったのだがこの三部作では今までのゴジラ映画のルールを破り主人公をこれまでの一般人や科学者からゴジラを倒すフィター(自衛隊員)に設定した。この辺りは国民の自衛隊に対する許容がったと思うが、これによってストーリーが強大な敵に挑む過去のあるヒロインと言うようにシンプルになり話のテンポが良くなった。また手塚監督は軍事オタクであったこともありメカゴジラの装備や動きも格段にグレードアップされ一言で言うとカッコ良くなった。

メカゴジラはバックユニットを使って自力飛行することも出来、バックユニットをミサイル的な武器として使った後は高機動タイプとなって運動力でゴジラを圧倒する。

こうした一連のメカゴジラ動きは正直しびれた。

その後メカゴジラはゴジラと同調して暴走したりするが茜の決死的な活躍でゴジラを撃退する。茜もゴジラとの戦いを経て成長し上司の死を乗り越えて笑顔を取り戻す。

メカゴジラは修理の後次回作「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」でも活躍するがやはり一度死んだゴジラのDNAを人間が使うことは命の論理に反すると言う事でゴジラを捕まえたメカゴジラはゴジラと共に深く海に沈んでいく。

ちなみに次回作でゴジラの骨を使うことの危険を人々に訴えるインファント島(モスラの故郷)の小美人の内の一人は当時16歳の長澤まさみが演じている。意外に歌がうまいので長澤まさみファンは必聴であろう。

本来本作品はゴジラ史上の最高傑作になっても良かったのだがけ結局そうならなかった事情があった。一つは本作品は「とっとこハム太郎」との併映であったこと。ハム太郎はこれはこれで動員力のある映画だったのだがさすがにこの二つの映画の世界観は違いすぎハム太郎を見た子供がゴジラを見て怖がったり、せっかくゴジラでいい感じのエキサイトした客がゴジラを見てまったりしてどうも都合が悪かった。そしてもう一つは併映と言う事で上映時間が88分と短かったことにある。もし通常上映時間と同様にあと15分ほどあってそこで機龍、ゴジラ、茜の人間?関係などが描けていればより深い印象が残ったと思う。

ミレニアムシリーズは前述のようにこの後手塚監督で2作公開された後、「ゴジラ FINAL WARS(2004年)」が公開される。ここではゴジラ映画の集大成としてゴジラはもちろんミニラからモスラ、アンギラス、ラドン他の怪獣に妖星ゴラス、轟天号まで出演したが結局、観客動員数はゴジラシリーズでワースト3位の結果に終わり、映画関係者からゴジラはもう終わったのかというあきらめが広がっていった。

「ゴジラを語る」シリーズはこれでいったん終わり新しいゴジラを見たうえで「シン・ゴジラ」と併せて語りたいと思います。

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