• 「黒ニンニク」、「カカオ85%含有チョコ」、「ミラグレーン錠」、これが筆者の最新購買トレンドだ。すべて健康関連。「オッサンは、『年金』と『孫』と『病気』のことしか話さねえから、つまんねえよ」、そういっていた自分が、一番引き寄せられる広告が「健康関係」というのは何とも情けない。しかし、若者よ、これが現実だ。ちなみに冒頭の三種の神器はいずれも「健康によく効く」ものである。「黒ニンニク」は抗酸化作用とアルコール分解成分をたっぷり含むし、「カカオ85%含有チョコ」は糖質の吸収を抑えで抗酸化作用のあるポリフェノールを多く含む。そして「ミラグレーン錠」、これは日邦薬品工業の肝臓薬で二日酔いと肝機能の向上に劇的に効く(言われている)。なんといって、シャンパンを一気飲みすることで売上をたてなければならない新宿歌舞伎町のホスト、そんな彼らがまず傷めるのは肝臓。彼らが必ず常備して服用しているというのが「ミラグレーン」と前の職場の同僚(女性!)から聞き、常備している。ちなみにこのミラグレーン、大手ドラッグストアでは販売していない。この「ミラグレーン」や「若甦(じゃっこう)」という、ちょっと聞き慣れない薬を大々的に販売している町の古い薬局薬店、そこでしか売っていない( https://www.nippo-yakuhin.jp/shops )。しかも、行っても人気がありすぎて入荷できていないことがある。
  • 肝臓をいたわるのは何をさしおいても「呑み過ぎ」だ。一昨日、馴染みの池袋の北海道料理屋「ウタリ」で呑んでいたら、人恋しくなり、ダメ元でLINEにて元同僚に声をかけた。ただ、LINE送ったのが既に20時という時間。普通の人間は帰って家で食事しているか、残業している。「返事なんて来るわけがないよなあ」と思っていたら、なんと二人も突然来店!。あまりに楽しくて、焼酎をボトル二本空け、店を出て、駅の階段を下りてからは記憶が…無い。気づいたら、武蔵小杉の駅に電車に乗っており、乗務員さんの「はい、終点ですよー」の声に起こされた。家には辿りついたけれども、猛烈な二日酔いがそれから翌日、翌々日襲う。このコラムも土曜の午前に書くと決めているが、とても書ける状態ではないため、土曜日の夕方、さんざん三種の神器を摂取して、昼寝もたっぷりしてから書いている。「酒は身を滅ぼす」、こんな言葉が頭をよぎる。だから、「肝臓を大切に」なのだ。
  • それにしても、飲めなくなった。元々、酒は好きではない方で、学生時代のサークルでのコンパが嫌で仕方なかった。ビールは苦いし、そういう学生が行く店のウヰスキーは何が入っているからわからないので悪酔いする(=店が余ったウヰスキーを混ぜている)。それが飲めるようになったのは、入社三年で異動した先に新卒同期の友人が多く、飲みにいって楽しかったことが天気となった。同じ釜の飯を食った同期は重要である。
  • そして決定的な酒好きになったのは、顧客との宴席が9年目で転職してから増えたからだろう。時はITバブルのまっただ中。ITとはおおよそ関係ない担当の筆者も顧客と飲む経費は領収書さえあれば全部出た。確かヴァイスプレジデントの頃である。すごかったのはある重要顧客(いわゆる太い客)との年に二度の定例呑み会だ。我々は「狂乱の一夜」と呼んでいた。顧客からの評定フィードバックが上司になされる前に行うのだけど、1~3次会までぶっ通しでで同じ店でカラオケだ。18時スタートで解散は朝の3時。その間の9時間の乱行は、明らかにコンプライアンス違反になるからここでは書かない(書けない)。ただ、朝の3時にクライアントがお帰りになるタクシーチケットを持っている営業マンが酔い潰れ、頬をぶったたきながら「XXX!、お客さんに帰って頂きゃならない。タクシーチケットはどこだ!」と叫んだことはよく覚えている。そして酔い潰れて裸同然にひっくり帰っている同僚に、比較的正気を保っている筆者が、シャツを着せ、靴下をはかせ、ワイシャツを着せ、スーツを着せ、鞄をもたせ、忘れ物がないかチェックし、タクシーに乗せる。タクシーの運転手さんは当然嫌そうな顔をするが、タクシーチケットを渡し「好きな金額改定医から」というとニッコリドアを閉めて進んでくれた。それが「黒ニンニク」「カカオ85%チョコ」「ミラグレーン」かぁ。時の流れは残酷だ。
  • 幼い時や若い時と、大人になったいま、自分の消費志向がまったく変わっていることを感じることがあるだろう。分かりやすいところでは、子供の頃にイヤでイヤで仕方なかった食べ物が、今は好物だったりする経験は誰もがあるだろう。筆者の場合は、「鱈の白子」、北海道弁でいうところの「たち」というのが鬼門だった。これを味噌汁に入れて食べるのが両親は大好きだったのだが、小学生の僕にはどう考えても気持ち悪い物体としか思えない。しかも美味しくない。「どう両親に気づかれないように、この物体を生ゴミの袋に放り込むか」、それがその頃の夕飯の最も重要な作戦だった。
  • さて、ふとネットサーフィンしていたら、こんな記事が目についた「新商品に飛びつくのは41歳9ヶ月まで? 調査委で判明した『生活寿命』」。書いたのは博報堂生活総合研究所の上席研究員 高橋真さんだ。さすが大手広告代理店、「博報堂生活総合研究所」( https://www.hakuhodo.co.jp/knowledge/seikatsusoken/ )と「電通総研」( https://www.dentsusoken.com/ )の調査は心に刺さり、そしてスルドイものが多い。中でもこの調査は、呼んでいて引きずり込まれる。
  • なにせ、年表形式の「令和の生活寿命」という一覧表が無茶苦茶面白い。だ。これはクライアントと話のネタになるので、コピーして常時持参することを奨める。「まさしく、あるある」なのだ。

※現物はここに→ https://seikatsusoken.jp/gekkan/coverstory/reiwa-seikatsujumyo/

  • 筆者の個人的な印象では、20代の頃は何でもアリ、働き盛りが30~40代、ちょっとヤバイかなと思う50代、そして完全に「終わった!」と思う60代なんだが、これを見事に可視化している。なんといっても、「37歳絶叫マシン寿命」は爆笑した。愚息が10歳の頃だったと思う。彼が乗りたいというので、義父母の家のそばにある大きな遊園地でジェットコースターに乗りに行った。座るのでは無く、立って乗る始めの頃のやつだ。愚息とパートナーと僕が乗ったが…コースターが止まって、階段を下りて、地面に降り立った途端、筆者は地面に這いつくばった。目が回る、気持ちが悪い、そして「二度と乗らない」と心に決めた。そう、それがこの頃だ。
  • 次に「39歳の徹夜寿命」だ。うん、それまでは、残業をしていても外回りから帰ってくる19時からが勝負で、徹夜してレポートを加工と決めると、1)オフィスの床にキャンプ用の銀マットを敷いて(常備してあった)、2)書類ファイルを枕にして、3)古新聞をかけて床で仮眠する。見た目ははっきりいって、ホームレスだ。まぁ二時間も仮眠して、真夜中1時からレポートを書くとガンガン筆が進み、そのうち空が白々と明けたら、外に出てコンビニで下着とデオドラントスプレーとカミソリ、ヘアムースを買って、お手洗いで身支して、一丁あがり。そんな生活が出来なくなったのは確か40前のこの頃だ。どんなに遅くても家に帰る。翌朝、始発で出ても、絶対に帰る。それが40代のルーティーンだった。
  • 「42歳の大盛り寿命と深酒寿命」、これは筆者の場合、もう少し先立った気がする。すき家で、うな牛の特盛を食べると今一つ調子がよくないなあと感じるようになったのは55歳くらいだ(余談だが、すき家は夏しかうなぎを出さないが、吉野家は地域の旗艦店では年中うな丼が出る)。深酒は冒頭に書いたように今もしている。よって「45歳のバイキング寿命」も当てはまらない。「46歳の長距離バス寿命」、うーん、26-27際に遠距離恋愛していた筆者は金曜日の東京発最終の大阪行き深夜バスに乗り、土曜日の朝一について彼女(今のパートナー)が街に出てくる9時まで24時間営業のデニーズで時間をつぶすと同時に、お手洗いを借りて、持ってきた下着と新しいワイシャルと髭を剃り、デートをして、また土曜日夜の深夜バスで東京に帰った。今でも長距離バスは乗れるように思うが、確かにのっていない。うん、もう無理かもしれない。
  • ここからは年代が上がるからどんどん気分が重い内容だ。「49歳自分探し寿命」、筆者は逆だった。45歳で勤務していたところが破綻し、移籍した先が新卒で入った企業の「親会社」だったので、風当たりは強く、なかなかにしんどかった。年齢もあったのだろう、いわゆる「中年の危機」に陥り「キャリアプラトー」、つまり「キャリアの平原状態」となり、先が見通せなくなった。そしてその答えをアカデミアに求めて、52歳でMBAを取得しにいったのだけど、ハッキリいって解決にはならなかった。加齢による問題に勝つための回答はアカデミアにはない。
  • なによりも流通の調査研究をして、ショックを受けたのが「54歳モール寿命」だ。筆者がバリバリに調査研究し、出張に行きまくっていた頃がちょうどイオンやイズミ、チェルシー、三井不動産、高島屋など郊外型モールおよびアウトレットを作りまくっていたので、出張して空き時間があれば一日三軒のモールを隅から隅までみていた。おおよそ一軒3時間。夕食は会食が無いときは、モールで買った惣菜をホテルで食べ比べする。それが楽しくてしょうがなかった。
  • ワールドの「オゾック」やオンワード樫山の「23区」、アダストリアの「niko ando …」などが全盛期で、ファッションアパレルテナントも面白ければ、モール構造自体も工夫されており、次々に魅力的な専門店が入っていた頃だ。しかし、先日、福岡に行ったときイオンモール博多に行く機会があった。イオンモール博多は三菱商事系のダイヤモンドシティが「ダイヤモンドシティ・ルクル」として2004年に開業し、2007年のダイヤモンドシティとイオンモールの統合で、現在の名称となった。で、数あるイオンモールの中でもイオンモール筑紫野に抜かれるまでは日本一の広さなので、死ぬほど広い。これを、40代の頃は半日かけてすべて見て回ったのだ(バックヤードにも入った。実はスーパーとかモールのバックヤードは、適当な身分証明書を首から提げて、「お世話になりまーす」と業者になりきれば、どこでも入れる。これ、豆知識。でも、違法だからつかまります)。それが先日は、わるいけど目的にイオン福岡店のテナント見ただけで帰った。とてもじゃないが、ここを見たら、体力を使い果たすからだ。そう確かにモール見学しなくなったのは50歳になるかならないくらいからだ。ちょうどアパレルブランドも迷走を始め、あまりお店が面白くなくなったのと、どこのモールにいっても同じ店しか入っていないので、飽きてしまったというのが本音である。
  • 60歳以降は「薬を飲んだか忘れる」とか、身につまることが多いのでこの辺にしておこう。それよりも高橋さんのレポートは「なるほど!」という内容がまだまだある。ひとつは「流行語を使える寿命は10年短くなった」ということだ。うん、なるほど、「流行語大賞」は年末の恒例行事だが、「今年の漢字」と並んで、ここ数年はピンとこない。なるほど寿命が短くなったのか。そりゃ忘れるわ。
  • 人口減少において、深刻な調査結果が「恋愛寿命の低下」だ。他人に関して恋愛感情が持てなくなる時期がおおよそ五年縮まっているという。ただ、これは2014年と2019年の調査比較だから、もっと長い期間をとると、この傾向はさらに強まっているように感じる。過去のこのコラムでも触れたように就職氷河期が日本の中流層を破壊するきっかけとなったのだけど、非正規労働者が一般化したのが小泉純一郎政権の2003年の頃で、さらにリーマン・ショックが発給して2008年のトヨタショックがそれにとどめを打った。これで、いわゆる戸籍婚をする年齢層の人間の所得と雇用が大きく冒される。21~13年前だから、25歳の人をモデルとすると34~46歳である。まさしく就職氷河期世代である。今でも、恋愛をしたり、パートナーとして生活をしたり、場合によっては戸籍婚を考える経済的な余裕がないといわれるが、既にその徴候はこの時期にあった。
  • なんだか博報堂総合研究所の資料を写しただけのコラムになったが(博報堂さん、スミマセン)、やはりこうした調査は消費現場を見ているので、素晴らしく分かりやすい。そして説得力がある。なにより意識しなければならないのは、消費者も、自分自身も時が過ぎるに従って、「消費や色々の嗜好・志向が変わる」という現実を把握しておくことだ。仕事をしていると、「どうして経営者は世の中が変わっていることに気づかないんだ!?」と思うことも少なくない。しかし、それと同時に消費者側も変化しているのだ。消費の移り代わりは「時間の経過」と「認知バイアス」と「現実」がない交ぜになって起こってくると言うことを俯瞰すべきだと強く感じる。

<参考>

※博報堂生活総合研究所 「月間 生活総研」 https://seikatsusoken.jp/gekkan/

※電通総研 リサーチ (2023年まで)https://qos.dentsusoken.com/research/

           (2024年以降)https://www.dentsusoken.com/case_report/research

                            (了)

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