- 「今は155円/米ドルだ。じゃあ、五年後に100円/米ドルに戻るかね、それとも180円/米ドルになるかね?」、バーで二人並んで酔うほどに、長いお付き合いをいただいている顧客から突きつけられた質問だ。筆者は絞り出すように答えた、「確率としては100円よりは180円でしょうね」。「だよね。ということは円安がさらに進むということは、日本が世界において『安い国』、つまり『国力が評価されない国』になっているということだ。違うか?」。ナイフのように突きつけられるその言葉に曖昧な笑顔を筆者は浮かべるしかなかった。「わかっているけど、直視したくない」、そんな現実を見せられた思いだった。
- 今更言うまでも無く「失われた30年」で失ったものは、端的に言えば、あの強かった日本の国力に他ならない。国力を測る指標はGDP、購買力平価、外貨準備高、政府債務、労働生産性、労働人口、為替レートなど数々ある。どれもが重要な指標だが、輸出国であり、また1985年のプラザ合意で強引に円高に誘導させられた日本がその後、「過剰流動性-平成バブル-バブル崩壊-不良債権処理-銀行の護送船団方式の崩壊-立ち直らない日本経済への信認の低下」と進んだことを考えると、円/ドルレートの動きは重要な国力指標といえるだろう。上記の流れに為替レートを加えるとこうなる。「プラザ合意1985年238円―過剰流動性1986年168円-平成バブル1988年128円-バブル崩壊1992年126円-不良債権処理1995年94円-銀行の護送船団方式の崩壊1999年113円-立ち直らない日本経済への信認の低下2001年121円」。もちろん2000-2002年のITバブル崩壊や2004年のエンロン事件といった世界的な大きな出来事で一時的に為替は円安に振れるのだけど、2008年のリーマン・ショック以降は「相対的に安全な日本円」という消極的な考えから2011-2012年の79円台への円高はピークを迎える。しかし、同時にこれはあくまでも「相対的・消極的」な円高であり、その後一気に日本円は日本円への信認低下やコロナ禍、インフレーションを経て、100円台から2025年の155円台までを駆け上がる。


- なかんづく、インフレと円安の関係は重い。国内の特にコロナ禍以降の消費者物価指数は2019年100.02だったものが、2023年105.59、2024年108.48、2025年112.05(10月)と急速に上昇し、国民生活を圧迫している。本コラムでも触れてきたように、政府当局は賃金上昇による実質消費者物価の押さえ込みに必死だが、功を奏しているとは言いがたい。いわゆる「令和の米騒動」があれほどまでに騒がれたのはそうした背景がある。事実、会食の多い筆者にとって飲食店・外食経営者の嘆きは2025年になって何度聞いたかしれない。曰く、「原価が高いので値上げするか、料理の量を減らすしかない」、「客数が劇的に減り、なおかつ、常連客が何曜日にどれくらい来てくれるか全く読めなくなった」。実際、筆者の行きつけのフォーク酒場はFacebookでその時点の顧客の入りを細かくアップロードしてくれるのだが、20時には「お客さん二人です、たすけてェ!」という書き込みがあったかと思うと、21時半には「本日はもう満席です。これからいらっしゃるお客さんは事前にお電話ください」と、怖ろしいほどの「ボラティリティ(変動)」だ。しかも、深刻なのは別にFacebookの書き込みを見て、常連客が「行ってあげなきゃ」と思って来ているわけではないということだ。「気まぐれ」なのである、消費そのものが。

- 冒頭の顧客との会食も、地方都市とはいえ、その政令指定都市では老舗No.1の由緒あるホテルのラウンジでなのだが、なんとお料理10品強+ビールから本格カクテルまで飲み放題、加えてお料理をすべて食べた後はなんでもオーダ食べ放題で一人二時間5,500円だ。新橋の居酒屋に飛び込みで入って1時間で支払う値段よりも安い。観光地としても有名であるため、ラウンジはインバウンド外国人客で満杯だ。そりゃそうだろう、これだけのお料理と飲物を堪能して、おまけに要所要所でプロのピアノ演奏まで聞けて、ドルに直せば二時間35ドル、最も円高だった2011-12年のレートで換算すれば2,800円なのだ。その頃、東アジアや東南アジア、また欧米を旅行して「安い,安い」と消費しまくっていた日本の消費者の姿と彼らは100%重なる。「そのうち、『いいなぁ、あんなに日本人は金をもっていて』とジトッとした目で我々を見ていた海外の現地の人達と同じように、我々がジトッとした目で俺たちが見るようになるぜ」とは、その顧客の諦めたような冷笑を浮かべての言葉だ。確かに海外での日本円に換算した物価の高さは常識を超えている。例えばあれほど好んで日本から押し寄せたハワイ。食パン700円、ミネラルウォーター300円、ファストフード2,000-5,000円、ビッグマックセット1,600-2,000円…。必然的に「海外旅行」は贅沢品となり、あれほど誰も彼もが行っていた海外旅行の頻度も急速に落ちた。さらには日本からの留学生数の減少だ。コロナ禍のはるか前、2004年をピークに日本から海外への留学生は低下し続けている。これはとりもなおさず、海外の様子を自分の目で見ることなく、内向き名国内生活をひたすら続けているということでもある。井の中の蛙、だ。
| 商品・項目 | ハワイでの一般的な価格例 | 日本での一般的な価格 |
| ミネラルウォーター(500ml) | 3ドル〜(約463円) | 約100円 |
| 缶ビール(中) | 約2.3ドル〜約3.5ドル(約355円〜約540円) | 約220円 |
| 食パン | 約4.5ドル(約694円) | 約150円前後 |
| レストランでの食事 | 30ドル〜50ドル(約4,627円〜約7,712円) | 約2,000円〜約4,000円 |
| ファーストフードの食事 | 10ドル〜30ドル(約1,540円〜約4,627円) | 約1,000円 |
| カフェのアイスコーヒー | 約4ドル〜(約617円〜) | 約400円 |
| タクシー初乗り | 3.5ドル(約540円) | 500円(東京) |
| バス | 3ドル(約463円)(THE BUS 1回一律料金) | 210円~(東京・一般系統) |
| 動物園の入場料 | 21ドル(約3,239円))/ホノルル動物園 | 600円/上野動物園 |
| ※2025年2月13日のレート、1ドル=154円で計算 | ||

- この状況で怖ろしいのが、貧困化している自分達の姿を自らはあまり気づいていないことである。流通業では、ドラッグストアの躍進に加えて、ディスカウントストアが再び勢いを盛り返している。そしてそのいくつかの企業の売り物は格安食品である。下の写真はディスカウントストアの弁当の写真だが、左上が「オーケーストア299円」、右上が「ローソンストア100 298円」、左下が「ロヂャース 189円」、右下が「ラ・ムー 198円」(大黒天物産)だ。ほかにもNHKのドキュメント72時間「大都会 24時間営業の格安弁当店」は、新大久保の一品298円の「ニハマル弁当」など、物価の高い東京でも下町には格安弁当が数々ある。筆者はいま62歳。年金も積んできたし、多少の蓄えもあり、「老後不安」と言うほどの不安は抱えていない。しかし、大黒天物産のある岡山にでも引っ越し、二階建て外階段の木造アパート6畳風呂無し、に住めば、激安弁当198円3食30日で2万円+家賃3-4万円+水道光熱費1-2万円=6-8万円で一ヶ月食っていけるのではないかどと夢想したことがある。これなら国民年金68,000円の範疇だ。とすれば、別にこれでも生きていけるじゃ亡いか…などと考えている自分がいることがちょっと怖くなったりする。




- こんな「敗北主義」的な考え方はイケナイとはわかっているのだ。円安が進んで、輸入食品価格が上昇すれば、198円で弁当はかえなくなるし、そもそも無職の年金生活者が住まいを借りられるかどうかも怪しい。それよりも、証券会社のプライベートバンキング部でヘッドをしていた後輩の言う通り、「佐々木さん、最も良い資産運用は小額の経済処遇であっても働き続けることです。ほんの数万円でも毎月キャッシュインがあることの心理的安全性は大きいです」、うん、そうだろう。でも、ふと漫画家のつげ義春さんの「世捨て人」的な生き方に憧れを抱いてしまう時もある。疲れているのかな、オレ。



- 日本の国力の低下は明らかだし、従来、「買う側」だった日本が「買われる側」になりつつあることは由々しきことだ。GDPも為替も国家財政も安定的に強くなければならぬ。「金がないのは首がないのと同じ」と昔から言うではないか。しかし、一方で第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争と含む中東紛争、露西亜ウクライナ紛争、東アジアの緊張関係、米中対立…と考えて行くと、経済が豊かになることで解決できることは必ずしも多くは無いのかもしれないという諦観も出てくる。また、強者が永遠に強者であり続けるわけではなく、今の強国が永遠に強国であり続けることは難しいのは、我が日本が証明したとも言える。冒頭の顧客には叱られてしまうのだろうが、「結局は諦めずに自分達なりに頑張って行くという気持ちを持ち続けることが重要」なのかもしれないなぁ、などとも考えてしまうのである。これも「敗北主義」なのかもしれないが。でも、ネット検索によれば「敗北主義」の説明として、「日常的な意味では「諦め」や「消極性」を意味しますが、政治思想の世界では「革命的敗北主義」のように、敗北を革命達成のための手段と捉える、より専門的な意味でも使われます。」ともある。さてさて、どうしましょうか。
(了)
