- 漫画家の、つげ義春氏がお亡くなりになった。1960-70年代サブカルチャー先駆者であった雑誌「ガロ」で特集号増刊が発表された氏の作風は、痛いほどのリアリズムと夢の中のファンタジー(悪夢であることが多い)を自由に飛び回るものだった。「X」(旧ツイッター)などSNSには山のように氏を惜しむ声が今も流れている。



- 数多くの名作の中、読者によって支持される作品が多様なのもその特色だ。一作だけを挙げろと言われると、これほど難儀なことはないが、あえていえば「ゲンセンカン主人」を挙げたい。これは現実と夢の合間を漂うような作品だが、その中で耳の不自由な女将が経営している宿屋での女中と主人公の会話は、筆者の中でどんどんその重みを増している。
- 「あのおかみさんは生まれつき耳が不自由なのですか?」「きっと前世の因縁でしょうね」「前世?、前世ってなんのことです」「鏡です」「おばさんはそう信じているのですか」「だって前世がなかったら私たちは生きていけませんがな」「なぜ生きていけないのです」「だって前世がなかったら、私たちはまるで」「まるで…、まるでなんだというのです」「ゆ….幽霊ではありませんか」


- 重みを増している理由は「前世」という言葉が「歴史」という言葉に、調査研究を生業とする筆者の中で置き換わっているからだ。そう、「今と将来」を分析する仕事をしていながら、「過去の歴史」の重要さをますます強く感じている。例えば、先日発表された西武百貨店渋谷店の今年6月での閉店だ。2023年のそごう西武のフォートレス・インベストメントへの売却は話題を呼び、西武百貨店の代表店舗である池袋店がヨドバシカメラを中心とした売り場に大改装されたことは大きな注目を浴びた。その西武百貨店渋谷店が閉店を決めた理由が「20年近く地権者との間で再開発について協議を続けてきたが、折り合わないまま賃貸借契約終了と明け渡し要求を受けた」ためだという。ここに二つのインプリケーションを感じる。一つは当時若者の街の代表格だった渋谷で「大人の百貨店」を謳って開店した渋谷店が幕を閉じざるを得なかったと言うこと、そして二つ目は不動産開発においては極めて強い交渉力を持つフォートレスをもっても地権者を説得し得なかったということだ。既に渋谷は再開発で「大人の街」に生まれ変わっているはずなのに、その第一歩を示した渋谷西武が閉店を余儀なくされたと言うことは、意地悪い筆者にとっては、「実は再開発の進む渋谷は、大人の街などになっていないのではないか」という疑問を感じざるを得ない。実際、再開発で立ち並ぶ多くのビルや店は見かけこそ華やかで大人の雰囲気を醸し出そうとしているが、どこか「ハリボテ」感が拭えない。渋谷という街の歴史もまた「幽霊」のようなものだったのではないか、そんなことを感じている。


- 西武百貨店を生み出したセゾングループは、西武セゾングループとも呼ばれる。しかしながら、電鉄やホテルを運営している西武ホールディングス(実質的な全身はコクド)と百貨店やスーパーマーケットと言った流通業を運営していたセゾングループの経営者である「堤」兄弟の確執は「二人の堤」として有名である。そしてその確執が、巨大私鉄グループと巨大流通グループを形成する原動力になったこと、そして二社のその後の奇妙な類似点も産業企業史における「皮肉」として有名だ。ただ、一方でそうしたバックヒストリーを知らずに広義の「西武」が語られることに筆者が歯がゆさを感じていることも事実だ。そしてそんなことをある記者に伝えたところ「今の世の中は、歴史の軽視が甚だしいということ、共感します。残念ながら、ビジネスの世界はその最たるものかもしれません。歴史を振り返っても、カネにならないとでもいうように。でも歴史から学ばなければ、良いものは出てこないような気がするのですが。」という返信をいただいた。彼はセゾングループについての著書を執筆したこともあるので、余計にそうお感じになるのだろう。





- 筆者の調査分析の主な内容は、企業業績の推移と予測である。そして長くその仕事を続ける中で、下記のような図を常に意識するようになった。縦軸と円の大きさは円で示される利益の大きさ、横軸はt(時間軸;右に行くほど最近)である。企業業績調査の基本は、業績が前年比でどれだけ上昇するか/下降するかであり、それは図では赤い矢印になる。経験上、一定の成長率はあり得ないため、α1,α2、α3のように低下するときもあれば、上昇するときもある。ただ、企業は継続することが前提である以上、ある「時系列断面」を切り取った「微分」=傾きだ。それはそれで重要だが、そこに拘泥すると企業の本質を見逃す。なぜならば、企業とはその傾きを「積分」した俯瞰図=円の重なりによって描かれる不定形の円筒=「積分」であるからだ。瞬間の傾きだけを語っても企業業績の全体を理解していることにはならない。しかし、筆者が近年、懸念しているのはこの「微分」=傾きばかりが注目され、すぐに忘れ去られる一方で、その大局的な流れの「積分」された俯瞰図を見ることが無視されがちなことである。そして、それはまさしく記者氏の語る「歴史の軽視」と同義だと感じる。

- そしてそれは何も企業業績分析だけではない。世界中が注目している中東の現状についての報道や評論を聞くとき、「この人達は1973年の第四次中東戦争によるオイルショックと、それによって否応なしに認識された日本の弱点『常にエネルギー危機に曝されていること』のリスクを理解しているのだろうか」と感じる。ネットとSNSの普及で、毎日大量の情報がなだれ込んでくるが、今回の中東の出来事に関して1973年まで遡って語ったものを寡聞にして筆者はあまり知らない。そして、そのことは将来を考える上で非常にリスキーであるとも感じる。「ゲンセンカン主人」の中で女中さんが「前世がない人間は幽霊」という言葉が、「歴史を知らない人間は崩壊するだけ」と言っているように思えてならない。つげ義春氏の訃報を聞いてそんなことを思った。



(了)