- この土曜日からゴールデンウイークに入った人もいるだろうに、こんな重っ苦しいテーマを書いて良いのだろうか。でも、ここ2ヶ月ほど、色々な企業経営者や管理職の方にお会いする中で、自分の中でどうしても消せない疑問、問題意識を書くことをご容赦。なお、これは多くの企業を訪問する中で共通したこと・その上澄み部分から抽出した最大公約数・一般論なので、誰かにだけ宛てて書いたものではない。読者が「うちのことを批判、否定しているのか、許せん!」とお怒りにならないでいただきたれば有り難い。
- それは三つの疑問から構成される。(1)まず、多くの企業が採用したホールディングスという形態が果たして長いスパンで考えた時に良い選択だったのか。(2)次に、水平統合・水平M&Aによる規模拡大はこれまでのように収益貢献に役立つのか、(3)そして誰が企業を経営するのかという承継・後継問題だ。
- (1)ホールディングスについて: ホールディングス、持ち株会社への移行が進んだのには、幾つかの理由があった。ひとつは、規模の拡大をするうえでM&Aという主従の関係になりやすい形ではなく、志を一緒にする企業同士が大きな入れ物(=ホールディングス)を作って、その傘下に入る形だ。それぞれの経営ポリシーを活かしながらも、数々のスケールメリットを得られる強みがある。二つ目は、往年の「村上ファンド」に代表される。親子会社の資本のねじれを解消するための手法だ。子会社は成長分野を別会社として自由に動けるようにするため、しばしば子会社が親会社単体の業績を上回ることがある。いわゆる「孝行息子、孝行娘」なのだが、子会社の株式は親会社に保有されているため、株式市場で評価の低い親会社の株を手に入れれば、会社法の定めに従って子会社の支配権も持てる。これが社会的に話題になったのが、ニッポン放送(親会社)買収によるフジテレビ(子会社)の買収をするという、いわゆる「ライブドア事件」だ。三つ目はリスク分散や規制対応などがある。異なった事業は異なったリスクを抱えるが、それをポートフォリオとして保有することによるリスク分散(=投資運用の「卵は別々のバスケットに入れよ」)と、それに近い理由だが特定事業が法規制の対象となる場合、子会社として独立させることで他の事業への影響を少なくすることができる。


- だが、ホールディングス設立の流れが一巡してしばらあく経った今、何か徐々に問題が生じているように感じる。一つ目は、ホールディングスを統括する能力と各事業会社の運営をする能力は異なるが、そのホールディングスを統括する能力を持つ人間の絶対数は非常に限られることだ。ありていにいえば、病に冒されたり、寿命がきた時にその役割を引き継げる人材を探すのは、非常に骨が折れる。多くのケースで、ホールディングスを統括する人物は、傘下の企業全体を見渡し、新しい仕組みを構築するときに各企業・経営者を納得させられる力量がある。誤解を怖れずに言えば、「高い人間力」が必要とされる。しかし、永遠の命がないことも事実だ。事前に誰がその役割を引き継ぐかを決めていれば良いのだが、なにせ特殊能力であるため、容易ではない。いわゆる「プロ経営者」はそれに長けているが、だからこそ、傘下の企業群にするとそのホールディングス、グループへの思い入れが薄いように「見えてしまう」リスクもはらんでいる。
- ふたつめの問題は、株式だ。株式交換をし、A社、B社、C社…..の株式は、Xホールディンス社の株式に交換される。当然、もはやA社株式、B社株式、C社株式は存在しない。しかし、傘下の企業群がすべて同じように成長し、すべて同じ考え方で経営を継続するとは限らない。業績が低迷する企業も出てくるだろうし、ホールディングスとして同じ方向性を向くことに、結果的に馴染めなかったというケースも起こりうるだろう。そういう場合は、各社がホールディングスを離脱できればよいが、現実的には容易ではない。ホールディングスが事情を理解して、特定の企業をカーブアウトすれば不可能ではないが、そうすれば、カーブアウトされた企業は数々のスケールメリットなどを失うことになる。また、ホールディングスだから得られていた外部からの買収攻撃への防衛も規模が小さくなればしにくくなる。ある事業会社が「ホールディングスに入ることは、離婚届のない結婚をするのに似ている」と表現したが、言い得て妙だ。最悪なのは、統括者不在になって徐々に各社の方向性がばらけてきたときに、それを修正するのが難しくなることだろう。そしてそれは最悪、業績の悪化や資金調達の困難などに繋がる。話題を呼んだ7&IHDのアクティビストによる様々な要請への対応が、不参三事業のカーブアウトであり、またその際の株式の引き受け手がファンドであることなどで、各社の意志が通りにくくなることは、その一つのケースと感じる。



- (2)水平統合・水平M&Aによる規模拡大の今後: 筆者が企業訪問をして、「今後の成長戦略は何でしょうか?」と伺うと、多くの企業は「M&Aや資本連携による規模拡大」と答えることが多い。確かに流通業、小売業に限らず、規模拡大は仕入や販売力のスケールメリットを増し、また各種システムや様々なコストを「薄める」効果を持つ。実際、これまでこれにより成長してきた企業は多く、M&Aが一般的になった今、それは当然のことだろう。
- ただ、筆者が気になるのは、人口減少が予想以上に加速し、地方の人口集積度がさらに落ちる中で、買収を行ってスケールメリットを得られるケースが今後どれだけ出てくるかだ。特に、M&Aはしたものの、それに伴う人事評定、給与制度、各種システムの統合、取引する業者の統一など、事前・事後に決めなければならないことは山のようにある。そして、規模の大きい企業同士の統合であれば、簡単極端な例では一対一の統合なので、話し合いも容易だが、規模の小さい企業を複数M&Aするケースでは、これらの「決め事」の数が多くなり、同時に意見が対立するケースもあるだろう。そうなると、事前のPMIという前向きなものだけでなく、事後のPMI、つまり「統合しても上手く行かなかったので、問題をもう一度洗い出して、一個ずつ潰す」作業が必要となる。これは半端なく重く、負担がかかる作業だ。



- こうした環境であれば、むしろ垂直統合や周辺事業のM&Aを考えるべきではないかと筆者は考えるが、実は意外と難しいらしい。その背景には色々な理由があるが、その一つが納入業者であるメーカーや卸は「業者」であり、格下であるという固定観念。そして二つ目が、小売業の場合、メーカーや卸の収益構造が理解できないことが問題として立ちはだかるのではないかと感じる。筆者はもともと、化学産業担当の証券アナリストからキャリアをスタートしたが、配属初日に上司から命じられたのは、担当企業の製造している化成品を原子分子レベルに落として「モル係数」を踏まえたうえで、各化成品の「原単位分析」をすることであった。言葉で書けば一行で済むが、これはとてつもなく難儀なことで、そもそも同じエチレン、プロピレンでもプラントが違えば使っている電力料金、原材料価格などのコストは違うわけで、はっきり言えば「上司の無茶ぶり」である。また、そうしたコストだけでなく、どの石油元売りと組み、敷地にどういう効率配置をするか、また化成品を作る配管の角度を変えることで歩留まりを上げることに血道を上げている。そしてなによりも小売業と決定的に違うのが、資金繰りと「原価利益」の概念だ。メーカーはまず資金を集めて、工場を建設し、原材料と人材を集めて、やっと生産が始まる。そして仮に製品が完成して売れても売上が回収できるのは半年、一年、場合によっては2-3年先だ。その間も工場を回し続けるための資金調達が必要になる。これは、現金商売で「回転差資金」がある小売業には存在しない概念だ。


- 垂直統合で成功している小売業は存在する。最近では「ロピア」が非常に話題をよんでいるが、これは生鮮三品(=青果、水産物、食肉)の中でも比較停収量が安定しており、また仕入や加工で特殊技能が必要な食肉を彼らが祖業としており、また食肉は広域商圏を押さえることができるからだ。また、「業務スーパー」は、まず食品スーパー企業の中でどうしても発生する不採算店舗の「業務スーパー」への看板替えとフランチャイズ加盟を奨め、商品を送り込む。その商品は魅力的でなければ売れないので、多くの企業を垂直統合して、フランチャイズ各社に供給できる商品を次々に開発している。そのため、そうした商品を製造できる企業への垂直統合M&Aへの意欲は高い。しかし、前段で述べた理由で、垂直統合M&Aはなかなか難しい。


- (3)承継・後継問題: 実はこれが最も多くの経営者、管理職が頭を抱えている問題である。「誰がこの後、この企業を経営するのか」、これは単純なようでいて、とても奥深い。しばしば同族企業であれば、子孫に順々についていけば良いのだから簡単だという誤解がしばしばあるが、一流の優秀経営者の同族、子孫だからといって、それだけで当然経営ができるわけではない。そのため、甥や姪、娘婿などに経営を託すケースも多くある。そして意外と問題になるのは、創業の際に同族の親戚に出資をあおいで設立した企業は、株式がこれらの親戚にもわたっているケースが多い。承継・後継ではシンプルであることが一番近道だが、これらの同族が承継・後継の構想に無条件で賛成するわけではない。そこには色々な問題があるが、生々しいのでここでは触れない。読者の知識に託すこととしよう。




- M&Aも事業承継の形態の一つなのだが、これも様々な意見を言う人間が存在すると、その糸をほぐすのはとてもややこしい。自社のバリエーション、相手側の企業文化、人間としての相性、などなど。そもそも企業を立ち上げ、それを継続し、一定の収益をあげることは容易なことではない。M&Aと一言でいっても、そこに「こだわり」が出てくるのは当然だ。
- 幸いなことに、筆者がこれまでお会いしてきた経営を承継するであろう方は、みな頭が良く、常識人で、しかも優しい良い人であるケースが多い。流通業、小売業は太平洋戦争後の混乱の中で、手っ取り早く始められ、現金を得られるビジネスであったため、初代創業者は非常にパワフル、かつ一筋縄ではいかない人物が多かった。だからこそ、あの混迷の時代を超え、高度経済成長の波に乗り、平成バブル崩壊後の、いわゆる「失われた30年」を乗り越えて来れたのだが、その孫世代は上述のように穏健な人格者が多い。ところが、これに頑として異を唱える人物に先日会った。彼はある事業会社で長く勤務し、あと一歩で役員というところで退職し、今は自由気ままな「高等遊民」の生活を送っている。退職の理由は、長患いに苦しんでいた親御さんが無事、旅立たれ、子供も既に自活できるようになり、さほど長くない人生を好きに生きたいと思ったからであり、勤務先や仕事に特段不満があっったからではない。そんな彼は筆者と同世代であり、出張で空き時間が出来てしまったときは、声がけをして雑談をしている。仙人のような生活をしている彼と、筆者で話が合うのかと思う方もいるだろうが、これがなかなかどうして、スルドイ意見を彼は言う。先日は、まさしく承継の話だった。「最近の次世代承継者は野菜空く、穏健な人格者が多いよ」と話したところ、「『イイ人』には経営はできん」とは彼の弁。彼の言葉を続けて記載すると、こうだ。「人口減少が明らかになり、食品であれば胃袋の数も量も減り、衣料品であればユニクロと数社の衣料品企業で十分こと足るようになり、日常雑貨は100円ショップ、またはディスカウント系ドラッグストアで済む中、既存の小売業の展開余地はもはや無い。ましてや、『清濁併せ飲む』ことが要求される経営者が『イイ人』ではとてもこの難局は乗り切れない。むしろ、さっさと売却先を探して、資産をキャッシュにして逃げるのが勝ちであろう」。
- なるほど、これはこれで一つの理がある。「まだいける、まだいける」と宜しく無い状況を続けて、結局失敗してしまうことは私たち一般の人間でも多く経験することだ。ならば、さっさと思い切れ、という彼の意見はシニカルな彼ではあるが、一方では冷静で親切な助言なのかもしれない。ましてや、上記の(1)(2)のような問題が徐々に姿を現している現代。それも一つの見識かと、目の前のアイスコーヒーを見つめながら唸ってしまった。
- もちろん(1)(2)(3)は心配性の筆者の考えの浅さによる杞憂である可能性は十二分にあるだろう。「もうちょっと明るいこと考えるようにしたら~」とはパートナーからしばしば言われることである。「そんな毎日暗い方向ばかり考えていたら、人生つまんなくなっちゃよ」と。しかし、母集団が1とか2ならば、自分のつまらぬ思い込みなのであろう。しかし、それは二ケタの企業経営者が口にするようになると、これはトレンドなのではないかと思わざるを得ない。そして、いずれも「解」を探すのが極めて難しい問題だ。もう少し、これからも色々なところにお話を伺ってみよう。
(了)