- 「働き方改革」、もはや聞き慣れすぎた言葉だ。「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律」という長いタイトルの法律が公布されたのは2018年夏で、その主要部分が順次施行されたのが2019年春からなので、既に7年以上が経っている。聞き慣れるのも当たり前だろう。しかしながら、色々な事業現場の話を伺ってみると、当初目論んだ効果を必ずしも生まず、むしろ「この国の国力を削いでいるのではないか」と思うことが増えている。有り体に言えば、「働くことが『悪』となり、必要な労働まで規制されてしまっているのではないか」ということだ。

- 働き方改革法案誕生の背景は、五つあった。「人口減少」、「長時間労働」、「正社員と非正規社員の二重構造」、「女性や高齢者の働きにくさ」、「生産性の低さ」だ。労働人口が急速に減少していくにもかかわらず、女性や高齢者を含む働き手が就業を継続しにくい環境が一向に改善されなかったことへの危機感であり、それは「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律」の「概要」などを見ても明らかである。改正された主な法律は「労働基準法:残業に対する規制と年次有給休暇の取得義務化」、「パートタイム・有期雇用労働法:同一労働同一賃金の実現」、「労働者派遣法:同一労働同一賃金の適用」「労働安全衛生法:過重労働防止」、「労働時間等設定改善法:勤務間インターバル制度導入の努力義務化」などだ。「働き方改革」のコンセプトをごく簡単にまとめれば「働く人がそれぞれの事情に合わせて、柔軟で多様な働き方を自分で選べるようにする」ことであり、それ自体は理想的であることは言うまでもない。

- 確かに傍から見るとこの七年間でこれらは大きく改善したように感じる。残業規制は厳しくなり、筆者が新人の頃にやっていた「月曜日の朝に下着とワイシャツを5枚(火曜~土曜の分、泊まりがけのため)持って出社する」なんていうことは、もはや笑い話にもならない。実際、オフィスへの入館カードや業務用のパソコンがサーバーに繋がりログイン・ログオフ時間が明確に分かる中、いわゆる「隠れ残業」も以前とは比べものにならないほど難しくなった。終業時間である17時台には帰宅のためにオフィスのエレベーターは混み、帰りの通勤ラッシュの電車も18時台となった。個人事業主である筆者は、「毎日が日曜日」とも言えるし、「365日・24時間戦えますか」という懐かしい栄養ドリンクの宣伝のようなものだが、勤め人をしている方々の有給休暇取得の頻度の高さと、その手続きの簡単さは驚くほどだ。ある企業では事前に上席などに諮る必要は無く、同じチームの人間にメールで「XX日~XX日は有給を取得します」とごく短いメッセージを送れば完了する。体調が悪かったり、家族の用事が急に発生したときは当日になってからメッセージが送られることも珍しくない。「昭和オヤジ」である筆者にとっては、ちょっぴり羨ましい。

- 実際に残業規制により労働時間は2018年1,706時間だったものが2025年1,620時間と約5%減っている。有給休暇は同じ期間では52.4%から66.9%に取得率が増加している。女性・高齢者の就業については、実際の賃金格差などにはまだまだ改善の余地があるが、感覚的には女性が働くための様々な環境整備は進み、60歳、65歳を過ぎても働いている人が増えたと感じる。筆者は63歳だが、定年が60歳の企業に勤務していても「嘱託制度」を利用したり、別の企業に転職したり、自分で事業を興して働き続けている友人知人は明らかに増えている。
- ただ、生産性は残念ながら改善しているとは言いにくい。2024年のデータではOECD加盟38カ国中、日本の時間当たり労働生産性は28位だし、実質時間あたり生産性も▲0.6%と低下している。また、最低賃金は全国的に上昇しているとはいえ、正規・非正規での賃金格差はまだまだ大きい。「就職氷河期」とよばれた1993年~2005年に新卒就職をした1970年~1985年頃に生まれた、いわゆる「ロスジェネ世代」は依然として非正規雇用にとどまる人も少なくない一方で、ここ数年の「人材不足・売り手市場」の中で新卒就職した新入社員の初任給上昇率は2022年度以降高く、1%台半ば~直近では5%程度で、2025年の初任給は23万9,280円である。

- ただ、ここからが「働き方改革」の難しいところだと思う。労働時間を減らすこと自体は必要な改革だったとしても、それまで長時間労働の中に半ば無意識に組み込まれていた教育、情報共有、仕事の引き継ぎ、上司と部下のコミュニケーションまで一緒に削られてしまった企業が少なくないからだ。ところが、それらに代わる新しい仕組みを作るところまで改革できた企業は、果たしてどれだけあるのだろうか。まだ新卒一括採用が主流の日本において、入社後の数年にわたる継続的な教育研修はスキルアップには絶対に必要だが、仮に就業時間が終わった後に上席が部下に何かを教えようとしても残業時間規制のために、ノウハウを伝承していく時間を確保することは極めて難しいと嘆く声が日々増えている。何事であっても教育効果が高いのは、ミスや失敗をした直後である。その場で問題の原因や背景を説明し、次にどう回避するかを教える。かつての日本企業では、そうしたことが終業後の残業時間や、上司と部下が一緒にいる長い時間の中で自然に行われていた。しかし残業を減らすのであれば、本来はその教育機能を就業時間内のOJTや研修の仕組みとして再構築しなければならない。ところが、「残業時間は減らせ、仕事量は変わらない、教育も従来通りやれ」となれば、どこかに無理が生じるのは当然だ。残業時間の「縛り」で、その時間を取れないケースをしばしば目にする。教育する管理職は残業代が付かず「無償行為」であることが多いため、「バカバカしくって、やってらんないっすよ」とぼやく経営職、管理職は少なくない。
- 筆者が若手と呼ばれた1980~1990年代頃の有給休暇取得は、なかなか直属の上司に言い出しにくかった。今の状況は夢のように理想的だ。もちろん問題は、有給休暇を取得することではない。それは働く人の当然の権利だ。問題は、誰かが突然休んでも業務が回るように、仕事の共有や権限移譲、情報管理、チームの要員配置まで変えたのかということだ。休み方だけは新しくなったのに、仕事の回し方は昔のままなら、どこかにしわ寄せが出る。筆者が企業の現場を見ていると、そのしわ寄せを同僚や、とりわけ管理職が吸収しているケースにしばしば出会う。これがすべてだという暴論は言うつもりはないが、生産性がそうそう改善しないのもわからなくはない。
- そんな状況を打破する方策の一つとして、近年、日本企業で導入が進んでいるのが、担当する業務内容を明確に定義し、それを担えるスキルのある人材を配置・雇用する「ジョブ型雇用」だ。日経ビジネスとリクルートマネジメントソリューションズが共同で2026年夏に行った「ジョブ型人事制度の運用実態調査」によると、ジョブ型人事制度が期待通りの成果を得られていると明確に答えている636件の回答のうち、ジョブ型人事制度が期待通りの成果を上げていると明確に答えた企業は40%にすぎない。依然として、新卒一括採用後に配置転換や転勤を重ねて長期的育成するメンバーシップ型雇用の方に慣れていると言える。


- ここからは筆者の「感覚」的なものに過ぎないことをお断りして申し上げるならば、以前に比べて「これでいいんじゃない」というところで仕事を止めてしまう人が増えたように思う。成果物のクオリティを見ても、議論した時の知識の深さを見ても、さらに足りない知識を補うために自己研鑽しようという姿勢を見ても、そう感じる場面は少なくない。ただ、それを単純に「最近の若者は働かなくなった」と片付けるのは違うとも思う。むしろ組織の側が、「ここまでやれば仕事は終わり」「それ以上は残業になる」「業務時間外には仕事をするな」と強く線を引く一方で、「では、より高いレベルの仕事をするための学習や研鑽を、いつ、どこで、誰が教えるのか」という仕組みを十分に用意してこなかったのではないか。
- 時間というインプットを規制する一方で、求めるアウトプットの質は以前と同じ、あるいはそれ以上を求める。しかも人材育成の方法は昔のまま。この三つが同時に成立するはずはない。だとすれば、「これでいいんじゃない」という働き方を生み出している一因は、働く人本人だけではなく、企業や社会の側にもあるのではないだろうか。そして何よりも問題なのは、経営職・管理職もしくは上席の人間もそのことに気づいているものの、「働き方改革」や近年のコンプライアンス、ハラスメントなどのポリティカルコレクトネスによって自分自身が罰せられることを恐れて、それらの問題解決を図れない姿だ。つまり、「残業」は消えたのではなく、その担い手が変わっただけではないか、と感じることがある。一部の管理職は一般社員と同じ労働時間規制を受けないこともあって、若手社員は17時台に退社し、それによって生じた業務の穴を管理職が残業や休日出勤で「埋め合わせ」している、という話はあちこちで聞く。今風に言えば「シン・女工哀史」だ。
- 何も、いつの時代にもあるような若手批判をしようというのではない。実際、若手社員自身も、自分の経験不足や問題解決に必要な知識の不足を感じ、もっと学びたいと感じている方が大勢だ。しかし、組織のルールとして、それは許されない。筆者が前に勤務していた企業のある管理職は、こうした状況を見かねて管理職とその部下が自腹で別の場所(貸し会議室や個室居酒屋)などを借りて研修・教育を行ったり、悩みの相談に乗ったりしていたが、ある日露呈し(この言葉を使うことも何かイヤ~な感じだが)、経営職から罰則を食らった。なんとも馬鹿馬鹿しい話に思えてならない。
- 日本は天然資源に恵まれず、少子高齢化が急速に進む、小さい島国だ。だからこそ、太平洋戦争後、食うために必死になって働くしかなかった。確かに過労死をしたり、激務で心身を壊したりするのはQOL(最近はウェルビーイングとかワークライフバランスというらしい。つくづく外来語で誤魔化すのが好きな国だ)を悪化させるのは良いことではない。しかしもちろん長時間働けば能力が高まる、などという単純な話ではない。一つのことを習得してプロフェッショナルになるためには、長期間の意図的な練習や研鑽が必要なのは間違いない。「1万時間の法則」という言葉も有名だが、重要なのは1万時間という数字そのものではなく、質の高い練習を長期間積み重ねることだろう。そう考えると、働く時間を短くすることと、人を育てることを両立させるためには、「研鑽する時間」をどこかに意図的に作らなければならない。勤務時間を1日7時間にしたのなら、その7時間の中に教育や研鑽の時間を組み込むのか。それとも企業とは別に本人が学ぶ仕組みを作るのか。そこを曖昧にしたまま、「残業はするな、でも以前と同じ速さで一人前になれ」というのは、いささか虫のいい話ではないだろうか。
- だから筆者が問題だと思っているのは「働き方改革」そのものではない。働く時間だけを改革して、仕事の量、仕事の進め方、人の育て方、管理職の役割を十分に改革しなかったことだ。なにより怖いのが、「食えるからいいじゃん」とそのぬるま湯に浸かり続けて、ハッと気づくと何もできない自分がいる「ゆでガエル現象、再び」だ。それが吸収力も柔軟性も失っている年齢であったとしたら目も当てられないこととなる。そして、その「目も当てられない」状態が来るのはさほど遠い未来ではないようにも感じる。
- ただ、これを同年代に話しても「そうだよねぇ、もっともだ」と同意してくれる知人も多い一方で、「いいんじゃない。別にそれはそいつらの問題だし、こっちは定年過ぎてもこうして働いているから逃げ切れそうだ。お前の好きなアドラー心理学でいう「課題の分離」から考えれば、放っておけばいいんだよ」という醒めた意見を言う知人も少なくない。うん、それは確かに尤もだ。でも、一人ひとりには悪意などないのに、よかれと思って作った制度と、以前から残っている仕事の仕組みとが噛み合わないことで、誰も望んでいなかった結果が生まれることはある。働く人を守るために始まった「働き方改革」が、若手から学ぶ機会を奪い、その穴を管理職が埋め、結果として組織全体の力を少しずつ削いでいるのだとすれば、それこそが「よかれと思ったことのほころび」なのだろう。問題は、そのほころびを見つけながら、どう繕えばいいのかがまだ見えてこないことだ。
(了)