- 夜更けの国道沿い、煌々と明かりを灯すコンビニエンスストア、また閉店したスーパーマーケットの裏手で大型トラックが静かにエンジンを止めている。かつて、日本の物流は「空気」のような存在だった。出せば届く、頼めば明日にはある。その当たり前が、今、音を立てて崩れようとしている。いわゆる「2024年問題」だ。2025年になった今も、この問題は、規制が厳しくなっても一向に解決しようとしていないように思える。むしろトラックドライバーは労働時間の制限、休憩時間を取らねばならないペナルティ、そしてそれらは「守るためのルール」が「走りたい層」の足を引っ張っているようにさえ見える。



- ドライバーの残業規制が強化され、労働時間が厳格に管理されるようになったことで、これまでの運送スキームが維持できなくなった。しかし、これは単なる法改正に伴う一時的な混乱ではない。むしろ、日本という国が30年間にわたって積み上げてきた「歪んだ効率」と「偽りの安さ」のツケが、一気に噴出したものと見るべきだろう。
- 長らく日本では、蛇口から水が出るように「運べる」時代が続いてきた。また物流に従事する人々も筆者が子供の頃に憧れた「トラック野郎」のように、自由に生きながらも、自分の腕一つで稼ぎまくることにできる「憧れの対象」だった。しかし、それは既に終焉を迎え、苦しんでいるのはそのドライバー達だ。



- 現在、物流現場で起きているのは深刻な「人手不足」と「生産性の欠如」の二重苦である。荷待ち時間は数時間に及び、ドライバーは運転以外にも、本来の業務外である手積み・手降ろしといった過酷な付帯作業を強いられる。指定された納品時間に1分でも遅れればペナルティを課される一方で、待機時間は「サービス」として扱われる。2024年問題への対処としての法改正でこれらは禁止されたはずだが、実際のところ、まだ陰に潜んで行われていることに読者は気づいているだろう。



- このような過酷な環境が放置されてきたのは、荷主である日本企業が、物流を「価値を生む源泉」ではなく「削るべきコスト」としてしか見なしてこなかったからだ。物流を安く叩くことが、自社の利益を確保するもっとも安易な手段となっていたのである。
- 今でも夜中のドライブが好きだった独身時代、AMラジオから流れるトラックメーカー提供の深夜番組のオープニングが好きだった。「日本のすみずみへ、着るもの、住むもの、食べるもの。トラックは暮らしのあらゆるシーンを運んでいます。荷物の到着を 楽しみにしている人がいます。あなたの笑顔を 心から待っている人がいます。新たな出会いを演出する かけがえのない仕事。日本を元気にするのは あなたの走りです。いすゞ自動車は、より安全で、より快適なトラック作り、そして、確かな技術と信頼できるサービスで、もっと皆様のお役に立ちたいと考えています。いいトラックであなたとのいい関係を作りたい。それが いすゞ自動車の願いです。今日の目的地まで音楽とおしゃべりで楽しいひとときをお届けする、いすゞ歌うヘッドライト。あなたとともに走り続けます」。これは決してメーカーが宣伝で語っている言葉ではなく、確実に日本経済を真夜中に支えている運転手に対する敬意が込められていたように思う。しかし、この番組も2001年9月に終了してしまい、生放送が録音番組に変わってしまった。一社提供していたトラックメーカーの業績悪化が終了の一つの原因だったが、2001年という平成バブルが崩壊し「失われた30年」に日本が突入していたこともその背景にあったのかもしれない。


- その物流業界の一つの重要な顧客が小売業だった。2000年に大規模店舗法(大店法)から大店立地法に法規制が変わり、出店が容易になったことで様々な業態の小売業が生まれた。また平成バブル崩壊による所得のピークアウトに会わせるように、プライベートブランド(PB)の乱立と消費の選択肢を増やすための多品種少量を店舗で揃えることが好まれるようになった。それは少々意地悪な見方をすれば、物流危機の根源を辿ると小売業界の過度な競争に行き着くとも言える。その象徴がプライベートブランド(PB)の爆発的な増加と、それに伴う多品種少量、つまりは「オーバーSKU(在庫保管単位)」の問題だ。
- それからずっと、どこのチェーン店に行っても、似たような「格安PB」が棚を占拠している。豆腐28円、納豆58円、ゆで玉うごん38円などという値札を付けるディスカウントストアも珍しくなくなった。価格競争に勝つために、小売店はナショナルブランド(NB)よりもさらに安いPBをメーカーに作らせ、独自のブランドとして展開する。一見、消費者にとっては喜ばしいことに思えるが本当なのか。その裏側では悲劇が進行しているということはないのだろうか。
- 類似した商品が乱立することで、一つの店舗に配送される一回あたりの荷量は極端に細分化された。多頻度小口配送が常態化し、トラックの積載効率は劇的に低下。ドライバーは一日に何十件ものルート配送をこなし、わずかな量の荷物を降ろすために渋滞や駐車場探しに奔走する。この「非効率な小口配送」を支えてきたのは、他ならぬドライバーたちの無償の労働力だった。
- ここで対照的な例として挙げるべきは、プラーベートブランドを安さではなく「美味しさ」や「差別化製品」といった「価値訴求型」で顧客の人気を集める小売業だ。彼らもPBは扱っているが、それは単なる「安売り」手段ではない。自社でしか提供できない価値を追求し、適正な利益を確保することで、サプライヤーとの関係性も健全に保たれている。一方で、他社に追随するだけの「安さ至上主義」のPBモデルは、もはや物流の限界によって自壊しつつある。



- その自壊を避けるために生み出されたのが「センター方式」だ。これ時代は各店舗に一軒一軒運ぶ必要がない効率化のたまものだ。しかし、それも最近はやや性格を変えつつあるように筆者には見える。「センターフィー」の存在だ。多くの小売業者が誇らしげに語る「物流センターによる効率化」という言葉のウラには、自前のセンターを構築し、そこを通過する荷物に対してメーカーや物流会社から「センターフィー(センター利用料)」を徴収する仕組みが存在している。本来、物流センターを運営し、配送を効率化するのは小売業者のリスクであり、投資であるはずだ。しかし、日本ではこのコストを「手数料」という名目で川上のメーカーや運送会社に押し付ける文化が定着してしまった。自社はリスクを負わず、立場を利用して他社の利益を削り取る。


- さらに、センターでの仕分け作業や積み込み作業を、運送会社のドライバーに「荷主の特権」として無償で手伝わせる光景も珍しくない。これはもはや効率化ではなく、単なる「コストの付け替え」である。小売店が表面上の「安さ」を維持するために、物流現場へのコスト負担を強いているようにも見える。



- そしてこの「安さの罠」がもたらしたもっとも罪深い帰結は、日本の人的資源の浪費である。製造業は、小売からの厳しい値下げ要求に応えるために、本来、次の成長のために投じるべき研究開発投資資金を削り続けることを余儀なくされつつある。物流現場では、高度な運転技術を持つプロが、数時間の荷待ちという「何も付加価値を生まない時間」にその命を費やしている。これを「無駄な労働(Wasted Labor)」と呼ばずして何と呼ぶべきか。日本企業が「リスクを取って新しい価値を作る」ことを放棄し、「他人にリスクとコストを押し付ける」ことで利益を確保しようとした結果、国全体の活力が奪われてしまった。失われた30年の正体とは、この「縮小均衡の押し付け合い」の歴史に他ならない。
- 物流危機は、我々に「適正な価格とは何か」を突きつけている。物流費が上がるのは、これまでが不当に安すぎたからだ。ドライバーの賃金を上げ、待機時間をなくし、付帯作業を適正に評価する。それはコスト増ではなく、経済を正常化するための「是正」である。
- もはや、誰かの犠牲の上に成り立つ「偽りの安さ」は維持できない。日本企業が再び成長軌道に乗るためには、現場を叩く「乾いた雑巾を絞る」ような経営から脱却しなければならない。自らがリスクを負い、他社に代替不可能な「本物の価値」を創造し、それに見合った対価を堂々と受け取るという原理原則に戻らねばならない時期が来たように思う。「運べない」という現実は、日本が「安売り」という病から回復するための、最後にして最大のチャンスかもしれない。
(了)