- 旧聞に属して申し訳ないが、小売業の星がまた墜ちた。言うまでもなくセブンイレブンの実質的な創業者の鈴木敏文さんだ。ニュースリリースを拝見すると亡くなったのが5/18、93歳での逝去。お盆のこの時期に本稿を書くことをご容赦いただきたい。


- お亡くなりになってから、随分と多くのメディアでは追悼の記事が掲載された。一部で7&IHDの故・伊藤オーナーとの意見の相違などにふれたものもあったが、概ねは個人を悼むものだった。中でも「びんぶんさんは逃げなかった」という経済新聞の記事は、そのタイトルがキャッチーだった。内容としては、「消費税のもたらす消費減退リスク」「妥協なし商品開発」「記者など外部からの声を聞いて情報のバランスをとっていた」などの称賛のあとに、「2016年の退任後、セブンはガバナンスの透明性、合理的な意思決定を標榜する『普通』の会社となった」と前半は締めくくられている。しかし、個人的な意見だが、「いまさら、おまいう(=今更、お前が何を言う)」の感が拭えない。


- 2015年、サードポイントが突きつけた要求は「収益性の低いGMS(イトーヨーカ堂)を分離しろ」であった。確かにGMSはその存在が薄らぎ、イトーヨーカ堂と言わず他の各社も経営に苦労しているのは事実だった。しかし、一方でPPIHが買収したユニーグループは見事に業績を蘇らせたし、そのPPIHが買収の主力業態であるドン・キホーテは見方を変えれば衣食住がすべて揃うGMSだ。また、何かと話題を呼んでいる家電量販店、中でもビックカメラやヨドバシカメラは生鮮食品こそ売ってはいないが、酒から生活雑貨から現代GMSからは売場が撤去されたスポーツなどの趣味用品も置く「変形GMS」だ。有楽町のビックカメラは筆者の勤務先の最寄りだが、自宅の周りにGMSが殆ど無くなった中、「総合小売業」として重宝している。あのサードポイントのことがあった時に「GMSはオワコン」と断じたのは7&IHDではなく、マスメディアの記者達ではなかったのか、そんな違和感を今も私は持っている。


- 7&IHDを襲った第二陣のアクティビストは、「コンビニ事業だけに集中しろ。GMSはもちろん、百貨店事業など即刻やめてしまえ」と主張した。そして、なぜか7&IHDはこの理不尽な要求を呑んだ。先日、ある流通業の幹部研修で「物言う株主」についての話題でこのことを振り返った時、多くの受講生はうつむくか唸っていた。企業が収益性の低い事業を見直し、より高い収益性が高い事業に集中するべきという意見は間違ってはいない。しかし、このコラムでも何とも書いたが、それはあくまでも企業の所有権を持つ「株主」の総意があってのことだ。数%しか株式を保有する株主は、言うのは自由だが、会社法によれば普通決議を単独可決できる50%超の株式をもたなければ、それは「言うだけ番長」でしかない。本当に経営を変え、改善したいのならば、50%超の株式を保有して行えば良い。その正論は今でも色あせていない。実際、2023年春の株主総会でバリューアクトの提案(取締役候補提案)に対する賛成派25~34%と否決された。過半数=50%超の株式を、プロクシーファイトであれ、なんであれ、持たないとこうなるのは自明の理だ。


- にも関わらず、少々過激で不適当な言葉を使うことを赦して貰えば、そういった会社法のルールなどを無視して、スキャンダラスな記事でアクティビストの言い分がさも正しいかのように「喧伝」したのはマスメディアだ。それでいて、鈴木氏の訃報をうけて「びんぶんさんは逃げなかった」とは、厚顔無恥にもほどがあるだろう。ある経営コンサルタントからこんな話を聞いた。アクティビストの二波の波状攻撃を受け、「分が悪い」と思った新聞、業界誌、業界紙、アナリスト、投資家、コンサルタント達は蟻の子を散らすように四谷(7&IHD本社)から逃げたそうだ。特に7&IHDは呆然としたのは、資本の論理、市場の論理、そして法務的なルールをよく知っているはずのアナリストがアクティビストに一斉に味方して集中攻撃を7&IHDに浴びせたことだそうだ。7&IHDのメディア広報とIR広報は忙しい。なにせあの巨艦企業だ。問合せと面談要請などは朝から晩まで来る。それでも、筆者の経験からも7&IHD(もしくは往年のセブン-イレブン・ジャパンとイトーヨーカ堂)は無理をしてでもその時間を割いてくれた。理不尽な要求があった時に反対の声をあげてくれるからだそうだ。しかし、現実はそうならなかった。それに対する無念さ、悔しさに対して今も納得ができないでいる、と筆者は聞いた。
- 色々な企業を伺っても「物言う株主」への怖れは7&IHDの時を超えている。「我が社はPBR1倍割れから戻りません、どうしたらよいのでしょう」、すがるように尋ねられることが多い。ただ、長く株式市場を見てきた立場としては、「解散価値である純資産総額よりも株価が低いPBR1倍割れは、必ずしもその企業に対する評価の低さではない」とハッキリ言える。機関投資家や個人投資家は、配当によるインカムゲインを求めるが、何よりも値上がり益によるキャピタルゲインを求めて行動する。加えて、一社の分析をする努力は時価総額が10億円の企業でも10兆円の企業でも同じだ。やや薄らいだとはいえ、依然として生成AIや半導体、またイラン紛争に伴う石油関連商品などに注目が集まっている時に、どんなに素晴らしい経営をしていても、大きな変動が見込めない流通株に対する注目は劣後する。とすれば、株式の売買数は盛り上がらず、株式市場での話題性は少ないと見なされることはしばしば起きる。簡単に言えば、その企業のせいではなく株式市場のトレンドの問題なのだ。会社四季報に掲載されている3,800社すべての企業が均等に注目を浴びているわけではない。そんな当然なことも比率分析がすべてと「誤解」されている現代、「数値が低い=評価が低い=企業努力が足りない」という短絡的な理解がされるのはなんとも淋しいことだ。


- 本来はメディアやアナリストやコンサルなどは、こうした短絡的な理解に対して「間違っている」と言う義務がある。ただしい資本市場の在り方を啓蒙するのがその役割でもあるからだ。しかし、どうも近視眼的で、面白おかしい意見が好んで読まれる傾向が強くなっているように思える。それはまるで芸能人のスキャンダルを書いて喜んでいるゴシップ誌と変わらない。そして、スキャンダルをかき立てられた芸能人が逝去したり、もっと不幸な亡くなり方をしたときに追悼文を書き、自分達が生前書いていた記事には口を拭って知らん顔というのとおなじようなことに、少なくとも資本市場に関わる人達にはなってほしくない、そんなことを思う。このお盆は鈴木氏にとって新盆。少々乱暴な文章であったことはお詫びするが、書かないではいられなかったというのが今回のコラムである。そして、同じ様な不安にさいなまれている企業人に対して冷静になってほしいという願いも込めたつもりだ。 合掌
(了)