- 7/15の日経新聞に「『無能な社外取いらぬ』 株主総会で反対票相次ぐ、問われ始めた資質」というタイトルの記事が掲載された。また7/14には「『お友達』指名委員の暴走抑止へ 会社法改正議論、問われる社外取の質」という記事も。両方とも読者の目を引く、センセーショナルな見出しだ。拝読して、その言わんとすることはわかる。しかし、何か「モヤモヤ」する。今日は筆者の精神衛生のためにも「モヤモヤ」を因数分解することにしたい。
- これらの記事の背景には、ここ最近の企業経営や企業統治(ガバナンス)に対する疑問がある。記事中では、ニデックや日産自動車、KADOKAWAがその例として挙げられていた。具体的には、ニデックでは大規模や不正会計、品質不正、それに対して経営者が十分に監督陣が監督責任を果たしていなかったこと、日産自動車では2年連続の巨額赤字計上時で社外取締役が再任を否決されたこと、KADOKAWA では業績の悪化や大規模な希望退職実施の一方で社長の再任が「物言う株主」の指摘にもかかわらず株主総会で可決されたことへの批判、だ。



- 株式会社の最高議決機関は「株主総会」だ。よって、ここでの決定は非常に「重い」。なぜならば、企業の意思決定のルールは「会社法」できちんと定められており、株主は株主総会で自由に考え方を表明する自由がある一方、定められた賛成がない場合は可決されない。よって、「考えを通さなければ」と思うのであれば得票=株主総会での議決票=会社法に定められた一定以上の株式保有比率が必要だ。以前にも述べたが、保有株が33.4%を保有していれば「特別決議の単独拒否」できるし、50%=過半数を超えれば「普通決議の単独可決」ができるし、66.7%以上ならば「特別決議の単独可決」ができる。逆に言えば、その株式数未満しか保有していなければ、決議を通す影響力を持つこはできない。

- 「報道の自由」は日本では憲法で保障されている「表現の自由だ」。思うことを正々堂々と述べられることは、絶対に守らねばならぬことだ。しかし、その内容に対してどう思うかを表明することも、また「表現の自由」だ。筆者は、「株主であるから会社法のルールを無視しても経営に関与して良い」とは思わないし、「経営責任だけを厳しく経営陣に問うことだけで社会が良くなる」とも思ってはいない。もちろん、「保有と経営の分離」から、経営者は企業経営に関する責任を負う。しかし、その経営者が最高議決機関「株主総会」で選ばれたのであれば株主や社会はそれを尊重せねばならないし、それが不満であれば株主総会で自由に議論し、一定以上の株数を保有して、違う経営者を選ぶことが原理原則だ。
- しかしこの原理原則がどうも歪められているように思えてならない。近年の「物言う株主」の存在は、株主総会や株主の一票の重さに対して気付きを与えてくれたという意味で非常に意義深い。しかし、中には会社法で定められた株数を保有していないにもかかわらず、自身の考えをメディアやSNSやウェブサイト、企業への質問状などで「変えさせよう」とするのはルールから逸脱している。もちろん意見を主張するのは構わないが、主張の裏には自身の責任もある。それは、法で定められた株数を保有することであり、また「経営改革」を求めるならば、その案に沿って業績や企業の問題が解決されるようにする義務が生じる。


- しかし、企業側・経営者側が年々厳しくなる「コーポレードガバナンス」への要請でがんじがらめになっているところに、こうした原理原則から離れた方法で批判をするのは、檻の外の安全圏から棒で檻の中の動物をつついている行為に見えてならない。力業でいくならば、同じ檻の中、土俵で正々堂々と戦う(=議論)するのが道理だろう。その意味では、ニデックで創業者が社会の批判に納得して経営から身を引いたことや、日産自動車でこれからの経営改革に相応しくないと判断された社外取締役再任が否決されたことは、原理原則に沿ったものだ。
- ただ、冒頭の記事のように「社外取締役」や「指名(報酬)委員会」、「監査等委員会」が「馴れ合いをうむ『お友達』だ」と断ずるのは違うのではないかという感が拭えない。確かに第一生命経済研究所や大和総合研究所の実証分析で、独立社外取締役を過半数まで高めた企業軍はROEの上昇傾向があるという結果を公表している。また、下田(2024)の研究では、改訂コーポレートガバナンス・コードが要求する「取締役のうち3 分の1 以上が社外取締役であることは企業価値を高める」という仮説を支持していることを証明している。一方で、社外取締役・指名報酬委員・監査等委員会もまた当該企業から報酬を得ており、社内経営者が望む経営の方向性に対して否定的見解を述べることは思うほどたやすくはないように思える。筆者の友人で、証券アナリスト、投資銀行部門のバンカー、コンサルタント、企業の顧問を経験した者は、「取締役は経営者が望む経営の方向性を推進するために存在し、それは社外取締役も同様である。ただ、社外取締役はその方向性に向かう際に、コンプライアンスや方法論など、『これはしてはいけない』というチェックを、その専門知識ですることが重要な役割であることが社内取締役とは違う点だ」と述べた。これに筆者は強く同意する。上記で列挙した記事は「執行責任を社外取締役に求め」ているが、それは社外取締役の責任の範疇にはないと筆者も考えている。


- こうした中、面白い動きが出ている。一つは2026年7月に公表された改定版・企業統治指針。ここでは、1)原則の大幅な絞り込みをして概念的・抽象的な内容に限定、2)成長投資への軸足転換、3)原則の「解釈指針」を親切による取締役会の機能強化などが打ち出され、企業統治指針の強化一辺倒ではなくなった。また、自民党の司法制度調査会の「成長指向型コーポレートガバナンスプロジェクトチーム」の提言案では、1)臨時株主総会の招集請求権行使要件を「3%以上の株式保有者」から「5%以上保有者に強化」、2)個別の業務執行に影響が及ぶ諦観変更の株主提案を制限、3)「実質株主」を正確に特定出来る制度を創設(違反株主には議決権停止)、4)社外取締役が経営陣の意向におもねらず幸平に判断出来るかが重要であることを明確に表明、などが盛り込まれる。つまり、会社法のルールを超えた「物言う株主」の権限濫用を制限している。これらは2027年1月の通常国会に「会社法の改正案」として提出される予定である。



- こうした動きが出ている理由のひとつとして、近年の日本の上場企業は株主還元に偏り、稼いだキャッシュを成長投資に使うことが滞っているという問題がある。具体的には2016年度に比較して2024年度は自社株買いや配当といった株主還元が2倍以上に膨らむ一方、売上高に占める設備投資の割合は減っている。これは将来の成長を株主還元という形で「先食い」しているのと同じであり、多少ふざけた表現になるが「タコが自分の足を食べる」のに似ている。健全な経済成長のために企業は適正な先行投資を行うべきで、それを阻害する動きは規制されるべきという政府や市民の懸念を反映していると筆者は感じている。経営責任だけを企業や経営者に厳しく問うことだけで社会や経済が良くなるとは思えない。なかには、自身のメリットになるから厳しく問うてるように思えることも少なくない。「企業は社会の公器」という言葉もある。その「公器」を私利私欲のためにいじることを、少なくとも筆者は好まない。
(了)